「西郷吉二郎」の版間の差分

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こぶまき (会話 | 投稿記録)
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*吉二郎は江戸に滞在することの多い兄に代わり、西郷家の家政を取り仕切っていたという。兄の名代で藩の記録所に「差出」を提出したりした。
*文久2年(1862年)、西郷隆盛が2回目に配流された[[沖永良部島]]は終身流刑地で、配流時には知行や家財が没収されたという。西郷家も例外ではなかったが、石高41石余りはこの時までに処分済みだったので影響しなかったという。むしろ、この件で吉二郎をはじめとする兄弟全員が失職したことのほうが響いたという。
 
*西郷隆盛は常に「自分が国家の為、聊かご奉公が出来たのは、吉二郎が自分に代わって兄たる責務を果たしてくれたからの事で、自分は年齢の上からの兄で、実際の兄は吉二郎だ」と述懐していたという。