「東伏見宮」の版間の差分

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依仁親王には、継嗣が無く東伏見宮家は一代で断絶した。
 
しかし、依仁親王が養育していた[[久邇宮邦彦王]]第3王子邦英王([[東伏見慈洽|東伏見邦英]])が成人後、東伏見宮の祭祀を受継ぐために臣籍降下することで東伏見の家名を賜り、伯爵家となった。この臣籍降下は旧皇室典範が養子を禁止していたためであった。

その後邦英は[[京都]]の[[青蓮院]]門跡の門主となって[[東伏見慈洽]]と号した。現在も存命中である。
 
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