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'''馬延'''('''ば えん'''〔Mǎ Yán〕生没年不詳)は、[[中国]]の[[後漢]]時代末期の武将。
== 正史の事跡 ==
{| class="wikitable" style="float:right; font-size:smaller"
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! 姓名
| '''馬延'''
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! 読み・ピンイン
| '''ばえん'''〔Mǎ Yán〕
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! 時代
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| 大将
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! 爵位・号等
| -
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! 陣営・所属等
! 主君
| [[袁尚]]→[[曹操]]
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! 家族・一族
| 〔不詳〕
|}
[[袁尚]]配下の大将。[[建安 (漢)|建安]]9年(204([[204]])、鄴を守備する袁尚の参謀[[審配]]を救援するため、袁尚に従って[[曹操]]と戦ったが、敗北を積み重ねた。袁尚は降伏の使者を曹操に送ったものの容れられず、遂には、馬延が同僚の[[張顗]]と共に曹操に降伏してしまい、袁尚の軍勢は総崩れとなって中山へ敗走した。この後、馬延は史書に登場しない。
== 物語中の馬延 ==
『[[三国演義]]』では、この後も曹操配下として登場し、当陽の戦いで他の袁紹の降将と共に、[[劉禅|阿斗]]を抱える劉備の将・[[趙雲]]を包囲したが、突破された。[[赤壁の戦い]]では、張顗と共に敗走する曹操を護衛したが、追撃してきた呉将[[甘寧]]に張顗共々討ち取られる。