「リチャード・ニクソン」の版間の差分

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1913年に[[カリフォルニア州]]南部、[[ロサンゼルス]]近郊のヨーバリンダ(Yorba Linda)に生まれたニクソンは、熱心な[[クエーカー]]教徒の母ハンナによって、[[福音主義]]の[[クエーカー]]教徒として育てられた。父フランシスは家業である食料品および[[ガソリン]]販売店に専念し、それほど[[宗教]]活動には熱心ではなかった。実家は決して貧しくはなかったが、裕福でもない中産階級の少し下といった感じの質素な暮らしをしており、彼の幼少時のしつけは、飲酒やダンス、罵り言葉を差し控えるような保守的な福音主義の遵守に特徴づけられる。
 
その後地元の[[高等学校|高校]]を卒業し[[ホイッティア大学]]([[ウィディア大学]]:クエーカー教徒の学校)に入学、[[1934年]]に二番目の成績で卒業し、十分な[[奨学金]]を受け、[[デューク大学]]法学大学院で法律を学んだ。法律大学院を三番目の成績で卒業したが、東部の人間との人脈に恵まれず、希望していた東部の法律事務所での就職をあきらめ、カリフォルニアに戻って弁護士を開業した。1940年6月11日には、ネバダ州出身でブルーカラーの家柄のセルマ・キャサリン・ライアンと結婚した
 
== 海軍時代 ==