「エカテリーナ・ブダノワ」の版間の差分

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1943年1月、[[リディア・リトヴァク]]と共に第8空軍の第73親衛戦闘機航空連隊へ異動。連隊長はブダノワを信頼し、彼女を僚機にした。同年2月23日、赤星勲章を授与される。3月末、[[Fw 189 (航空機)|FW-189]]を撃墜。更に3月~6月の間、ブダノワは協同撃墜2機のスコアを上げた。7月17日、Ju-88を撃墜し、間もなく一等[[祖国戦争勲章]]を授与された。
 
1943年7月19日、3機の[[Bfフォッケウルフ Fw 190|Fw-109190]]に囲まれ、最後のうち2機を撃墜しスコアである11機目としたがブダノワ機も被弾。基地までたどり着き胴体着陸試みるものの、ドイツ軍の爆墜しにより生じていクレーターに乗機戦死し突っ込み彼女もろとも爆発、最期を遂げた。司令部は、彼女を[[ソ連邦英雄]]に上申したが、これは実現しなかった。生涯に渡って、ブダノワは、[[266ソーティー]]を遂行し、個人撃墜6機、協同撃墜5機のスコアを上げた。
 
1993年10月1日、ブダノワにはロシア連邦英雄の称号が授与された。