「小山田圭吾」の版間の差分

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ファッションの面でも現代の日本の若者たちに強い影響を与えている。[[森永製菓|森永]]のチョコレート「小枝」のCMでは、女装して「森の中の少女」として出演。この女装姿が意外なほどハマッていたので大評判となった。
 
[[1997年]]、『FANTASMA』リリース後、マタドールレコード(米)と契約。それを機に『FANTASMA』『POINT』([[2001年]]作)の2作を世界21カ国で発表。この時期から現在まで、ツアーなどを含む海外での活動も盛んに行われることとなる。
 
それ以外にも[[ベック (歌手)|Beck]]、[[ブラー|Blur]]、[[スティング (ミュージシャン)|Sting]]、[[スケッチ・ショウ|Sketch Show]]、[[坂本龍一]]、[[マニック・ストリート・プリーチャーズ|Manic Street Preachers]]、ARTO LINDSAY、COLD CUT、HIGH LAMMAS、K.D LANG、KINGS OF CONVINIENCE、MERZBOW、MOBY、PASTELS、U.N.K.L.Eなど国内外多数のアーティストとの[[コラボレーション]]やリミックスを行っている。
 
2003~5年V&A(ビクトリア&アルバートミュージアム/ロンドン)で行われた展覧会『Shhh…』への楽曲提供や、バービカンアートギャラリー(ロンドン)で行われたJAM展などへの映像作品の出展、世界最大の映像の祭典、レスフェストにてノミネートされたミュージッククリップが、ベストオーディエンス賞を受賞するなど、音楽はもとより映像作品の制作など、幅広い活動を展開している。
 
[[2000年]]、ミュージシャンの[[嶺川貴子]]と結婚。小山田の父は、[[和田弘とマヒナスターズ]]の[[三原さと志]]。ベンチャーキャピタリスト[[伊藤穣一]]とは、[[はとこ]]にあたる。
 
[[2003年]]より[[NHK-FM]]において“小山田圭吾の中目黒ラジオ”を放送中。夏と冬(元旦)の年二回のレギュラー番組で、毎回このために製作されたDJミックス(と、いうよりも、実際は様々な音ネタによるサウンドコラージュの様相を呈している)が1時間弱放送される。
 
[[2008年]]、[[BS hi]]にてワールドツアーの特集番組が放送された。タイトルは“小山田圭吾の中目黒テレビ~コーネリアス・ワールド・ツアー 2006-2008”
日・米・欧・豪でのツアーの模様が小山田らしい演出によって伝えられた。
 
 
その後専門学校に通い、[[フリッパーズ・ギター]]を結成。解散後、暫しの期間を経て小山田圭吾による一人ユニット[[Cornelius]]として音楽活動を開始する。
 
楽曲においては、手法として[[サンプリング]]の採用、[[テルミン]]を用いる演奏、[[ハードディスクドライブ|HDD]]による多重録音、[[ヘビーメタル]]への傾倒と新解釈、[[シンセサイザー]]を前に出した演奏、ハーモニー効果の模索、サウンド・エンジニアリングの創意工夫等が各アルバムリリースごとに施され、アイディア豊かな作品を発表している。
 
また[[音楽プロデューサー]]としても多くのミュージシャンの活動に貢献している。
 
さらに[[1992年]]より[[レコードレーベル]]「トラットリア(trattoria)」を主宰。その活動は、作品発表の場を求めるミュージシャンと新たな音楽を求める聴衆の掛け橋として機能した。小規模のレーベルによる作品の頒布はそれまでにも存在したが、このレーベルは新しい潮流の軽音楽を、単に一部の熱狂的な聴衆に提供するにとどまらず、全国の一般的な聴衆に広く頒布することを可能にした。このことは日本における既存のレコード会社先導の音楽業界に直接的間接的に影響を与えたといえよう。[[2002年]]にこのレーベルは終了したが、その活動期間は10年に渡り、250もの作品をリリースした。
 
ファッションの面でも現代の日本の若者たちに強い影響を与えている。[[森永製菓|森永]]のチョコレート「小枝」のCMでは、女装して「森の中の少女」として出演。この女装姿が意外なほどハマッていたので大評判となった。
 
 
[[1997年]]、『FANTASMA』リリース後、マタドールレコード(米)と契約。それを機に『FANTASMA』『POINT』([[2001年]]作)の2作を世界21カ国で発表。この時期から現在まで、ツアーなどを含む海外での活動も盛んに行われることとなる。