「中西啓介」の版間の差分

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経済準学士 (会話 | 投稿記録)
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=== 小沢一郎の側近 ===
[[1992年]](平成4年)の竹下派分裂では、小沢と行動を共にし[[改革フォーラム21|羽田・小沢派]]に参加。[[1993年]](平成5年)の自民党分裂でも羽田、小沢と行動を共にして自民党を離党し、[[新生党]]を結成。[[第40回衆議院議員総選挙]]で自民党が過半数を割り、[[日本新党]]の[[細川護熙]]を首相とする細川内閣が成立すると、中西は防衛庁長官として入閣した。しかし同年12月に[[「半世紀前にできた憲法]]、後生大事にしがみいてはまずい」という憲法に関する発言が問題となり[[防衛庁長官]]を辞任。このころから[[紀陽銀行]]に関する不正融資への関与や[[関西空港]]建設に関連し業者から献金を受けたなどという噂が取りざたされる。中西は小沢の側近と言うこともあり、政敵の自民党から格好の標的として批判された。
 
[[1994年]](平成6年)12月、[[新進党]]結成に参加。しかし、[[1995年]](平成7年)、息子が[[大麻]]使用で逮捕されたことを理由に衆議院議員を辞職し、同年6月には[[東京共和信用組合]]、[[安全信用組合]]の乱脈融資・経営問題に関与し、衆議院予算委員会で[[証人喚問]]された。[[1996年]](平成8年)の[[第41回衆議院議員総選挙]]では、新進党公認で[[小選挙区]][[和歌山県第1区|和歌山1区]]から当選。政界に復帰するが、和歌山市長であった[[旅田卓宗]]や、元職の[[東力]]も出馬したため、地盤が弱体化した。