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もともとは[[物理学]]専攻であったが、後に[[西田幾多郎]]の下で[[哲学]]を学ぶ。西田に師事する一方で、[[マルクス主義]]の研究者でもあったことから、学派的には[[三木清]]、[[舩山信一]]、[[梯明秀]]らとともにいわゆる'''西田左派'''に属する。
 
また、彼は[[1932年]]に設立された[[唯物論研究会]]の創始者の一人であり、同事務長等を務めたが、[[治安維持法]]によって[[特警察]]に捕らえられ、敗戦の直前([[8月9日]])に[[長野刑務所]]で獄死した。
 
戸坂は始め[[新カント主義]]の立場にあったが、[[空間論]]の研究を進めるなかで[[唯物論]]の立場に移り、日本の代表的な唯物論哲学者となった。唯物論研究会の事実上のリーダーといってよい。[[観念論]]哲学に対する批判を旺盛に行ったが、その死は観念論哲学者([[田辺元]]など)からも惜しまれた。