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略名 =ベネズエラ|
日本語国名 =ベネズエラ・ボリバル共和国|
公式国名 =<b lang="es">República Bolivariana de Venezuela (Venezuela(Venezuela Manda)Manda)</b>|
国旗画像 =Flag of Venezuela (state).svg|
国章画像 =[[Image:Venezuela coat of arms.png|100px|ベネズエラの国章]]|
国章リンク =([[ベネズエラの国章|国章]])|
標語 =なし|
位置画像 =LocationVenezuela.png|
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建国形態 =[[独立]]<br/>&nbsp;- 宣言<br/>&nbsp;- 承認|
建国年月日 =[[スペイン]]より<br/>[[1811年]][[7月5日]]<br/>[[1821年]][[7月24日]]|
通貨 =[[ボリバル]] (Bs(Bs.)|
通貨コード =VEB|
時間帯 =-4:30|
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}}
 
'''ベネズエラ・ボリバル共和国''' (ベネズエラ・ボリバルきょうわこく)、通称'''ベネズエラ''' は、[[南アメリカ]]の[[国]]のひとつである。北側には[[カリブ海]]・[[大西洋]]、東側には[[ガイアナ]]、南側には[[ブラジル]]、西側には[[コロンビア]]と接する。コロンビアと共に北アンデスの国家であるが、自らをカリブ海世界であると捉えることも多い。ベネズエラ海岸の向こうには、[[アルバ]]、[[オランダ領アンティル]]([[クラサオ]]など)、[[トリニダード・トバゴ]]といった[[カリブ海]]諸国が見える。
ガイアナとは現在ガイアナ領の[[グアジャナ・エセキバ]]を巡って19世紀から領土問題を抱えている。
 
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正式名称は、''República Bolivariana de Venezuela''。通称、''Venezuela''。公式の[[英語]]表記は、''Bolivarian Republic of Venezuela''。通称、''Venezuela''。[[日本語]]の表記は、'''ベネズエラ・ボリバル共和国'''。通称、'''ベネズエラ'''。'''ヴェネズエラ'''という表記もある。[[スペイン語]]の発音は「ベネスエラ」、英語では「ヴェネズエラ」が近い。漢字では'''委内瑞拉'''と表記される。
 
 
'''ベネスエラ'''('''Venezuela''')という名の由来には諸説があり、一つはイタリアの[[ヴェネツィア]]に由来するというものである。[[1499年]]この地を訪れた[[スペイン]]人の探検者、[[アロンソ・デ・オヘダ]]と[[アメリゴ・ヴェスプッチ]]が、[[マラカイボ湖]]畔の[[グアヒーラ半島]]に並び建つ[[インディヘナ]]たちの水上村落を、水の都[[ヴェネツィア]]に見立て、[[イタリア語]]で「ちっぽけなヴェネツィア」("Venezuola")と命名した事によるとされている。
 
'''ベネスエラ'''('''Venezuela''')という名の由来には諸説があり、一つはイタリアの[[ヴェネツィア]]に由来するというものである。[[1499年]]この地を訪れた[[スペイン]]人の探検者、[[アロンソ・デ・オヘダ]]と[[アメリゴ・ヴェスプッチ]]が、[[マラカイボ湖]]畔の[[グアヒーラ半島]]に並び建つ[[インディヘナ]]たちの水上村落を、水の都[[ヴェネツィア]]に見立て、[[イタリア語]]で「ちっぽけなヴェネツィア」("Venezuola")と命名した事によるとされている。
 
もう一つは、この地に住んでいたインディヘナが"Veneciuela"と呼ばれており、そこからVenezuelaに成ったのだという説であり、この説によるとベネスエラという国名は土着の言葉から発展したものだということになる。どちらの説が正しいかという論争は絶えないものの、現在一般的な説として信じられているのは前者である。
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== 歴史 ==
{{main|ベネズエラの歴史}}
=== コロンブスによる「発見」ビア期 ===
[[ヨーロッパ]]人がこの地を訪れる前、この地には[[アラワク族]]と[[カリブ族]]と狩猟と農耕を行う[[インディヘナ]]が居住していた。タワンティンスーユ([[インカ帝国]])の権威は及ばなかったが、現コロンビアの[[ムイスカ人]]の影響を受けていた。また、この地から多くの人間が[[カリブ海]]諸島に航海していった。
[[ヨーロッパ]]人が今の[[ベネズエラ]]と接触するのは[[1498年]]の[[クリストファー・コロンブス|コロンブス]]による第3回の探検が初めてである。翌[[1499年]]には[[スペイン人]]の[[アルフォンソ・デ=オヘダ]]が内陸部を探検している。
 
それまでは[[サント・ドミンゴ]]のアウディエンシアに所属していたが、
=== スペイン人の征服 ===
1739年には[[ヌエバ・グラナダ副王領]]の一部となり、[[1777年]]には[[ベネズエラ総督領]]に昇格した。
[[Image:Pan de Azucar6.JPG|thumb|right|200px|[[グアイカイプーロ]]像]]
[[ヨーロッパ]]人が今の[[ベネズエラ]]と接触するのは[[1498年]]の[[クリストファーバル・コロンブス|コロンブス]]による第3回の探検が初めてである。翌[[1499年]]には[[スペイン人]]の[[アルフォンソ・デオヘダ]]とイタリア人のアメリゴ・ヴェスプッチが内陸部を探検している。
征服後1526年に[[クマナ]]に南米大陸初の入植地が建設され、先住民の首長[[グアイカイプーロ]]との戦いの最中の1567年に[[カラカス|サンティアゴ・デ・レオン・デ・カラカス]]が建設された。植民地化当初は[[ヌエバ・エスパーニャ副王領]]の一部として、[[イスパニョーラ島]]の[[サント・ドミンゴ]]の[[アウディエンシアに]]所属していたが、1739年には[[ヌエバ・グラナダ副王領]]の一部となり、[[1777年]]には[[ベネズエラ総督領]]に昇格した。
 
=== スペインからの独立 ===
[[Image:Francisco miranda in cadiz.jpg‎|right|thumb|200px|[[フランシスコ・デ・ミランダ]]]]
[[Image:Simon Bolivar.jpg|thumb|250px200px|right|[[解放者]][[シモン・ボリーバル]]、スペインから南アメリカの五共和国を独立に導いた軍人政治家、思想家、革命家。]]
1789年の[[フランス革命]]によりヨーロッパの政局が混乱し、19世紀に[[ナポレオン戦争]]が[[スペイン]]で勃発に波及するとその影響をインディアス植民地は大きく影響受けた。インディアス植民地各地の[[クリオーリョ]]たちは独立を企図し、ベネズエラでも[[1806年]]には[[フランシスコ・デ・ミランダ]]による反乱がおきた。この反乱は鎮圧されたが、1808年の[[半島戦争]]の勃発により、[[ジョゼフ・ボナパルト|ホセ1世]]が[[スペイン王]]に即位すると、インディアス植民地は偽王への忠誠を拒否し、独立の気運は抑えがたいものになって行った。
[[1810年]]にはカラカス市参事会がスペインからのベエズエラ総督を追放。翌年[[1811年]]には[[シモン・ボリーバル]]とミランダらがベネズエラ第一共和国を樹立した。しかし、スペイン王党派の介入とカラカス大地震によってベネズエラは混乱し、共和国は崩壊した。この時にカラカス市の2/3が崩壊したといわれる
 
ボリーバルは不屈の意志で独立闘争を展開し、1816年には亡命先の[[1819年ジャマイカ]]にはから『ジャマイカ書簡』を記す。何度かのベネズエラ潜入失敗の後ヌエバ・グラナダ人の独立指導者[[エクアドフランシスコ・パウラ・デ・サンタンデル]]らの協力を得てヌエバ・グラナダの[[コロビアタフェ・デ・ボゴタ]]を解放すると、[[1819年]]にはベネズエラとヌエバ・グラナダからなる[[大コロンビア|コロンビア共和国]]を結成した。その後解放軍は[[1821年]]に[[カラボボの戦い]]でスペイン軍を破り、スペイン支配から脱却ここでベネズエラの最終的な独立が確定した
ボリーバルはその後[[エクアドル]]、[[ペルー]]、[[アルト・ペルー]]方面の解放に向かい、1824年に[[アントニオ・ホセ・デ・スクレ]]将軍の率いる解放軍が[[アヤクーチョの戦い]]に勝利して全インディアス植民地の最終的独立を勝ち取るが、留守を預かっていたコロンビアの大統領サンタンデルとの関係が悪化し、コロンビアに帰国する。
しかし、コロンビアの政局は安定せず、[[1830年]]には「エクアドル」([[キト]]と[[グアヤキル]]が連合して[[赤道]]共和国を名乗った)ともに[[カウディージョ]]、[[アントニオ・パエス]]を指導者にしたベネズエラは「大コロンビアから脱退し、完全に独立した。翌1831年にコロンビアの独裁者、[[ラファエル・ウルダネータ]]が失脚すると以降この地域を統一しようとする動きはなくなった。
 
== 内戦と軍事独裁の時代 ==
[[Image:PresidenteGuzmanBlanco.jpg|left|thumb|[[アントニオ・グスマン・ブランコ]]将軍]]
独立後、旧ボリーバル派排除され、商業資本家が支持する保守党による支配が続いたが[[1840年]]に大土地所有者を支持基盤とする自由党が結成された。保守党が中央集権を唱え、自由党が連邦制を叫び、両者は対立し、ついに[[1858年]]、[[連邦]](内戦)が勃発した。内戦は[[1863年]]に連邦主義者の勝利のうちに終結。自由党が政権を担うことになった。しかし、自由党は失政を重ね、1870年に保守系の[[アントニオ・グスマン・ブランコ]]が政権を握った。ブランコは18年間を独裁者として統治し、この時期に鉄道の建設、[[コーヒー]]モノカルチャー経済の形成、国家の世俗化などが進んだが、1888年の[[パリ]]外遊中にクーデターにより失脚する
 
[[Image:JuanVGomez.jpg|thumb|right|「アンデスの暴君」[[フアン・ビセンテ・ゴメス]]]]
[[1908年]]から[[1935年]]の長い間、ゴメス将軍の軍事政権が続くが、この時にマラカイボで油田が発見され、ベネスエラは一気に農業国から石油収入のみを基盤にした南米の地域先進国となっていった。
グスマンの失脚後、ベネズエラは再び不安定な状態に陥るが、1899年には[[アンデス]]の[[タチラ州]]出身の[[シプリアーノ・カストロ]]が政権に就き、[[1908年]]まで独裁を行った。1908年にカストロの腹心、[[フアン・ビセンテ・ゴメス]]がクーデターを起こすと、以降[[1935年]]までのゴメス将軍の軍事独裁政権が続くが、この間の1914年に[[マラカイボ]]で世界最大級の[[油田]]が発見され、ベネスエラは一気に貧しい農業国から[[石油]]収入のみを基盤にした南米の地域先進国となっていった。しかし、ゴメス将軍は「アンデスの暴君」と呼ばれるほどの苛烈な統治を敷き、「1928年の世代」を中心とする国内の自由主義者の反発が強まることになる。
 
彼の1935年にゴメスは死去したが、死後もゴメス派の軍人により軍政が継続された。軍政は労働者への懐柔を行ったが、[[1945年]]10月には青年将校と[[民主行動党]](AD)によるクーデターが起こり、この[[1947年十月革命]]には新憲法が発布され、ガリェゴス政権が誕生する。が、ガリェゴス政権もクーデターによって打倒されり軍政は崩壊した。
[[1947年]]には新憲法が発布され、1948年2月の選挙により国民的文学者の[[ロムロ・ガジェーゴス]]政権が誕生するが、ガジェーゴス政権も軍事クーデターによって打倒された。その後[[1952年]]から[[ペレス・ヒネメス]]将軍による独裁が続いたが、ヒメネスは[[1958年]]にゼネストで失脚することになる。
 
=== 現代のベネズエデモクシア ===
[[1952年]]からヒネメスによる独裁が[[1958年]]にゼネストで失脚するまで続いた。
[[Image:Rómulo Betancourt.jpg|thumb|250px|「民主化の父」[[ロムロ・ベタンクール]]]]
[[1959年]]には民主的な選挙の結果、民主行動党の[[ロムロ・ベタンクール]]が大統領に就任した。農地改革や1960年に設立された[[石油輸出国機構]]への加盟を行う一方で、[[反共主義|反共]]政策の下[[キューバ]]敵視政策を行ったが、これに反発して折から起きていた[[キューバ革命]]に影響を受けた左翼ゲリラが山岳部で蜂起した。ベタンクール大統領は左翼勢力と戦うも鎮圧することは出来ず、 [[1964年]]には退陣した。ベタンクール政権はベネズエラ史上初の民主的に選ばれ、任期を全うすることが出来た政権となった。
 
[[1969年]]、ゲリラへの恩赦を公約にキリスト教社会党(コペイ党)の[[ラファエル・カルデラ]]政権が発足。反乱は治まり、キューバを始めとする東側諸国との関係改善も行われた。続いて[[1974年]]には民主行動党の[カルロス・アンドレス・[ペレス]]政権が成立。[[オイルショック]]の影響による原油高によりベネズエラは大いに潤い、ラテンアメリカの指導的な地位を確立しようと努めて[[中南米経済機構]]の設立にも尽力した。
=== 現代のベネズエラ ===
[[1959年]]には選挙の結果、民主行動党の[[ベタンクール]]が大統領に就任。ベタンクール大統領は左翼勢力を弾圧。これによって、[[1964年]]には退陣に追い込まれた。
 
=== カラカソ以降 ===
[[1969年]]キリスト教社会党の[[カルデラ]]政権が発足。
しかし、1980年代を通して貧富の格差と累積債務が増大し、1989年には低所得者層により[[カラカス暴動]](カラカソ)が発生した。この暴動で非武装の群集に対して軍が発砲し、多くの犠牲者を出すなど世情不安が続き、[[1992年]]には[[空挺]]部隊の[[ウーゴ・チャベス]]中佐による政治改革を求めての二度の[[クーデター]]未遂事件が起こり、翌[[1993年]]不正蓄財によりペレス大統領が辞任。翌[[1993年]]には再びカルデラが大統領に就任した。しかし、ポプリスモ政策を取ろうとしたカルデラの貧困層、中間層への対策は失敗した。
 
1999年に「[[第五共和国]]」運動から、1992年にクーデターの首謀者、ウーゴ・チャベスが大統領に就任し、反米とポプリスモとボリーバル主義を掲げたチャベスにより、同年12月には国名が「ベネズエラ・ボリバル」共和国に改称された。
続いて[[1974年]]には民主行動党の[[ペレス]]政権が成立。この後、両党の政権争いが続けられ、[[1989年]]のペレス政権の時にはベネズエラは[[石油輸出国機構|OPEC]]に加盟した。中南米経済機構の設立にも尽力した。
 
2002年にチャベスは軍部親米派のクーデターで一度失脚するが、ラテンアメリカ諸国の抗議によるクーデター失敗によりチャベスは再び政権に返り咲いた。
国内では暴動など世情不安が続き、[[1992年]]には[[クーデター]]未遂事件が起こり、翌[[1993年]]不正蓄財によりペレス大統領が辞任。翌年[[1993年]]カルデラが大統領に就任した。
 
== 政治 ==
[[Image:Chavez141610.jpg|thumb|right|250px|ベネズエラの現大統領、[[ウゴ・チャベス]]]]
かつて「ラテンアメリカには独裁か無政府状態しかないのではないだろうか」とシモン・ボリーバルが危惧したように、ベネスエラでは1830年から1955年まで一世紀以上に渡り、カウディージョや軍人による専制政治と内戦が続いた。クーデターが起こりやすい国でもあり、一時期ほどの頻度ではないものの、近年でも1992年と2002年のクーデター未遂事件は記憶に新しい。
ロムロ・ベタンクール以降、石油収入を背景にベネデモクラシアと呼ばれた民主化が富裕層と中間層を主体にして進み、1941年に成立した国民行動党と、1946年に国民主義行動党が改編されたキリスト教社会党(COPEI)(COPEI)との二大政党制が確立したが、民主化の中でも埋まらなかった経済的な格差を背景に、貧困層に対してポプリスモ的な政策に訴えたウーゴ・チャベス元中佐が1999年に当選した。
 
[[大統領]]を[[元首|国家元首]]とする[[共和制]]。[[1999年]]12月に新憲法が制定され、大統領の権限が強化、任期も5年から6年に延長された。選出は、国民による[[普通選挙]]によって行われる。前回投票は、[[2006年]][[12月3日]]に行われ、現職大統領が再選。大統領自身が行政府の長として[[内閣]]を統率する。
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また、スト終結後1年間は経済後退が著しかったが、続く[[2004年]]には石油価格上昇もあいまって経済が急速に回復し、政権支持率もそれにともなって上昇した。そして8月15日に大統領リコールの国民投票が58%対42%で否決されると、政情は一応の安定をみた。
 
しかし野党は国民投票と以後の選挙結果を認めず、[[2005年]]12月の議会選挙では主要野党が選挙をボイコットした。このため現議会は与党と与党寄りの政党によって全議席が占められている。[[2006年]]12月3日の大統領選挙でチャベスは63%の得票で3度目の当選を果たし、今度は野党候補も結果を承認した。チャベス大統領は2021年までの大統領在任を仄めかしているが、これが実現すれば「アンデスの暴君(フアン・ビセンテ・ゴメス|アンデスのこと。上記「石油と独裁」参照)暴君」以来の長期政権になるだろう。
 
[[2007年]][[12月2日]]実施の[[社会主義]]体制への移行と、[[大統領]]再選制限の撤廃や大統領権限の強化を定める[[憲法改正]]の[[国民投票]]で、ベネズエラ中央選管は、反対票が約51%と賛成票をわずかに上回り、否決されたと暫定結果を発表した。
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== 地方制度 ==
[[Image:Altamira.JPG|thumb|right|250px|ベネズエラの首都[[カラカス]]]]
地方制度は、州 (エスタド、estado)estado) 、市町村(ムニシピオ、minicipio)、区(パロキア、parroquia)の三層だが、自治体とは呼べない区を除くなら二層になる。州は23、首都地区が1、連邦保護領が1ある。首都地区と連邦保護領は州政府にあたるものを持たない。形式上連邦制をとるが、ベネズエラは南米でも中央集権的な制度の国で、州の独立性は弱い。[[1989年]]まで、州知事は共和国大統領の任命制であった。
 
市町村にあたるムニシピオは、日本語で人口に応じて適当に市、町、村などと訳し分けられる。市郡とする人もいる。かつては州と市町村の間に郡(ディストリト、distrito)があったが、1980年代に廃止された。基本的に、かつての郡が新しい市に、かつての市が新しい区に相当する。中にはバルガス州のような一州一市の例もある。市町村の上に立つ特別な自治体として、カラカス大都市地区とアルトアプレ郡がそれぞれの特別法によって設けられている。
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[[Image:Estados_de_Venezuela.jpg|thumb|450px|ベネズエラの地方自治体マップ]]
[[Image:Venezuela Division Politica Territorial.svg|thumb|250px|right|ベネスエラの主張する領域。ガイアナ領の[[グアジャナ・エセキバ]]が含まれている]]
#[[アマソナス州 (ベネズエラ)|アマソナス州]] (Amazonas)(Amazonas)
#[[アンソアテギ州]] (Anzoátegui)(Anzoátegui)
#[[アプレ州]] (Apure)(Apure)
#[[アラグア州]] (Aragua)(Aragua)
#[[バリナス州]] (Barinas)(Barinas)
#[[ボリーバル州 (ベネズエラ)|ボリーバル州]] (Bolívar)(Bolívar)
#[[カラボボ州 ]](Carabobo)(Carabobo)
#[[コヘデス州]] (Cojedes)(Cojedes)
#[[デルタ・アマクロ州]] (Delta(Delta Amacuro)Amacuro)
#[[ファルコン州]] (Falcón)(Falcón)
#[[グアリコ州]] (Guarico)(Guarico)
#[[ララ州]] (Lara)(Lara)
#[[メリダ州]] (Mérida)(Mérida)
#[[ミランダ州]] (Miranda)(Miranda)
#[[モナガス州]] (Monagas)(Monagas)
#[[ヌエバ・エスパルタ州]] (Nueva(Nueva Esparta)Esparta)
#[[ポルトゥゲサ州]] (Portuguesa)(Portuguesa)
#[[スクレ州 (ベネズエラ)|スクレ州]] (Sucre)(Sucre)
#[[タチラ州]] (Táchira)(Táchira)
#[[トルヒーリョ州]] (Trujillo)(Trujillo)
#[[ヤラクイ州]] (Yaracuy)(Yaracuy)
#[[バルガス州]] (Vargas)(Vargas)
#[[スリア州]] (Zulia)(Zulia)
#[[連邦保護領]](Dependencias(Dependencias Federales)Federales)
#[[首都地区 (ベネズエラ)|首都地区]] (Distrito(Distrito Capital)Capital) (主な都市 チャカオ市、バルータ市、エル・アティージョ市)
 
== 地理 ==
[[画像:Ve-map.png|right|ベネズエラの地図]]
[[Image:Angel falls.jpg|250px|thumb|世界で最も高い滝,[[サルト・アンヘル]]]]
北に[[カリブ海]]に面し、[[コロンビア]]、[[ブラジル]]、[[ガイアナ]]に接する。中央部のジャングルをコロンビアから[[オリノコ川]]が流れている。北東部には南米最大の湖、[[マラカイボ湖]]が存在する。コロンビアから続くオリノコ川流域の平原部をリャノと呼び、国土の主要部はコロンビアの[[オリエンタル山脈]]を通して[[アンデス山脈]]が延びてきており、国内最高峰はメリダ山脈に位置する[[ボリーバル峰]]である。
 
国土はマラカイボ湖周辺の[[マラカイボ低地]]、西部から北部に広がる[[ベネズエラ高原]]、オリノコ川流域平原の[[リャノ]]、そして[[グアジャナ高地]]の四つの主要な部分に分けられ、ベネズエラ高原はさらに中央高地、北東高地、[[セゴビア高原]]、[[メリダ山脈]]の四つの地域に分かれる。国土の80%がオリノコ川の流域であり、リャノが国土の35%、グアジャナ高地が国土の45%を占めるものの、人口の圧倒的な部分は北方の海岸線沿いのマラカイボ低地と、ベネズエラ高原に集中し、ベネズエラの多くの都市や村落は標高800m-1300mの人間が住むのに適した気候の谷間に存在する。
 
熱帯のため、雨季と乾季の区分がはっきりし、12月から4月が夏(ベラーノ)と呼ばれ、5月から11月が冬(インビエルノ)となり、6月から7月にかけて「サン・フアンの夏」と呼ばれる中だるみの季節が存在し、夏は乾季に、冬は雨季に相当する。
また、カリブ海側は乾燥しており、カラカスの外港[[ラ・グアイラ]]では年間降水量が280mmしかない。
リャノは[[サバナ (地理)|サバンナ]]が広がっており、[[サバナ気候|サバンナ気候]]であるゆえに乾季は完全に乾燥し、雨季は洪水となるため牧畜ぐらいの生産活動しかできず、こうした気候が屈強な[[リャネーロ]]や[[ホローポ]]などの文化を生み出した。
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== 軍事 ==
詳細は[[ベネズエラの軍事]]を参照せよ。
 
ベネスエラには長らくコロンビアのような文民統治の原則は存在せず、軍はもっぱら内戦、クーデター、国内のゲリラ鎮圧のために存在した。
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[[アンデス共同体]]、[[メルコスール]]、[[南米共同体]]の加盟国である。
 
ゴメス時代にマラカイボ湖で石油が発見されるまでは、ベネスエラはコーヒーとカカオを主としたプランテーション農業の国だったが、1930年代には石油輸出額が第一次産品を抜き、[[1950年代]]にアメリカ・[[ソビエト連邦|ソ連]]に次ぐ世界第三位の産油国となった。現在のベネズエラの経済は完全に[[石油]]に依存しており、輸出収入の8割ほどが石油である([[2003年]]現在)が、石油部門が雇用するのは就労人口の0.5%にすぎない。[[石油輸出国機構|OPEC]]の原加盟国であり1960年の設立に際して重要な役割を果たした。
 
中南米でトップクラスの高所得水準を誇る背景には、豊かな鉱山資源があげられる。しかしながら、農牧業の生産性は低く、食料品の半分以上を輸入に頼る。
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金属鉱物資源では、[[ボーキサイト]](500万トン、第7位、1.9%)、世界シェア1.9%の[[鉄鉱石|鉄鉱]](1150万トン)、同1.4%の[[ニッケル]]鉱(1.8万トン)のほか、金、ダイヤモンド、リンを産する。
 
このため、輸出に占める鉱物、もしくは鉱物を原料とする工業製品の割合は金額ベースで約90%に達する。品目別では原油 (58(58.3%)、石油製品 (23(23.6%)、鉄鋼 (3(3.1%)、[[アルミニウム]] (2(2.0%)、化学薬品 (1(1.5%) である。
 
=== 観光 ===
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</gallery>-->
[[Image:La Galera.jpg|thumb|200px|right|[[ヌエバ・エスパルタ州]]にある[[マルガリータ島]]のビーチ]]
南東部のオリノコ高地には[[テーブルマウンテン]]や[[サルト・アンヘル]] (英:エンジェルフォール)で有名な[[ギアナ高地]]が[[ギアナ三国]]まで続いている。カリブ海には、[[ロス・ロケス諸島]]や[[マルガリータ島]]などのビーチリゾートがある。
 
[[アンデス山脈]]の観光地としては、[[メリダ (ベネズエラ)|メリダ]]がある。ここには世界最長の[[ロープウェイ]](全長12.6km)6km)があり、そこの最高地点[[ピコ・エスペホ]]からベネズエラ最高峰の[[ピコ・ボリーバル]](5007m)(5007m)へ行くことができる。
 
=== 経済基礎指標と対外関係 ===
{{雑多な内容の箇条書き|section=1|date=2008年3月}}
*1999年度
**GDP (PPP)(PPP) 1,828億ドル (OER)(OER) NA 実質成長率 -7.2% 国民一人当たり(PPP)(PPP) 8,000ドル
**インフレ率 20% 失業率 18% 対外債務 340億ドル 外貨保有額 NA
**政府収入 NA 政府支出 NA 政府債務のGDP比 NA
208 ⟶ 219行目:
**輸入額 118億ドル 輸入先 US 53%
*2000年度
**GDP (PPP)(PPP) 1,462億ドル (OER)(OER) NA 実質成長率 3.2% 国民一人当たり(PPP)(PPP) 6,200ドル
**インフレ率 13% 失業率 14% 対外債務 382億ドル 外貨保有額 NA
**政府収入 215億ドル 政府支出 270億ドル 政府債務のGDP比 NA
214 ⟶ 225行目:
**輸入額 147億ドル 輸入元 アメリカ 35.8% コロンビア 6.8% ブラジル 4.5%
*2001年度
**GDP (PPP)(PPP) 1,462億ドル (OER)(OER) NA 実質成長率 2.7% 国民一人当たり(PPP)(PPP) 6,100ドル
**インフレ率 12.3% 失業率 14.1% 対外債務 NA 外貨保有額 NA
**政府収入 NA 政府支出 NA 政府債務のGDP比 NA
220 ⟶ 231行目:
**輸入額 188億ドル 輸入先 NA
*2002年度
**GDP (PPP)(PPP) 1,328億ドル (OER)(OER) NA 実質成長率 -8.9% 国民一人当たり(PPP)(PPP) 5,500ドル
**インフレ率 31.2% 失業率 17% 対外債務 NA 外貨保有額 NA
**政府収入 201億ドル 政府支出 233億ドル 政府債務のGDP比 NA
226 ⟶ 237行目:
**輸入額 NA 輸入元 アメリカ 32.1% コロンビア 8.0% ブラジル 6.2%
*2003年度
**GDP (PPP)(PPP) 1,179億ドル (OER)(OER) NA 実質成長率 -9.2% 国民一人当たり(PPP)(PPP) 4,800ドル
**インフレ率 31.1% 失業率 18% 対外債務 208億ドル 外貨保有額 NA
**政府収入 NA 政府支出 NA 政府債務のGDP比 38.8%
232 ⟶ 243行目:
**輸入額 107億ドル 輸入元 アメリカ 29.2% コロンビア 7.1% ブラジル 6.2%
*2004年度
**GDP (PPP)(PPP) 1,452億ドル (OER)(OER) NA 実質成長率 16.8% 国民一人当たり(PPP)(PPP) 5,800ドル
**インフレ率 22.4% 失業率 17.1% 対外債務 332億ドル 外貨保有額 257億ドル
**政府収入 269億ドル 政府支出 307億ドル 政府債務のGDP比 43.1%
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**輸入額 149億ドル 輸入元 アメリカ 28.8% コロンビア 9.9% ブラジル 7.0%
*2005年度
**GDP (PPP)(PPP) 1,537億ドル (OER)(OER) 1,061億ドル 実質成長率 9.3% 国民一人当たり(PPP)(PPP) 6,100ドル
**インフレ率 15.7% 失業率 12.3% 対外債務 397億ドル 外貨保有額 307億ドル
**政府収入 396億ドル 政府支出 412億ドル 政府債務のGDP比 32.0%
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**輸入額 246億ドル 輸入元 アメリカ 31.6% コロンビア 11.0% ブラジル 9.1%
*2006年度
**GDP (PPP)(PPP) 1,764億ドル (OER)(OER) 1,479億ドル 実質成長率 8.8% 国民一人当たり(PPP)(PPP) 6,900ドル
**インフレ率 15.8% 失業率 8.9% 対外債務 356億ドル 外貨保有額 359億ドル
**政府収入 522億ドル 政府支出 529億ドル 政府債務のGDP比 28.4%
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[[Image:Alto orinoco5.jpg|thumb|200px|right|高地オリノコに住むインディヘナの部族、[[ヤノマミ族]]の子どもたち]]
ベネズエラ人は多くの人種と民族が合流して生まれており、現在も移民が流入し続けている。先住民はインディヘナの[[カリブ族]]、[[アラワク族]]などが住んでいたが、現在先住民の社会を維持しているのはアマゾンの密林の中に住む少数である。白人は植民地時代のスペイン人が主で、当時は植民地社会の上層部にあった。独立後は他のヨーロッパ諸国からの移民も増え、現在も[[ポルトガル]]などから流入しているが、近年では政治的な理由により富裕層や中間層がアメリカ合衆国へ流出している。
[[アフリカ系ベネスエラ人]]は植民地時代に奴隷としてつれてこられた人々の子孫である。アジア系は他より少ないが、独立後に移民した[[華僑]](中国系)がおり、小商店主として成功した。
しかし、アジア人に対する人種差別が激しかったため、南米の国の中で日本からの移民はかなり少ない方であり、現在は600人程と[[ウルグアイ]]の日系人の倍程度である。
最近では中南米諸国、特に隣国コロンビアからの、難民に近いような移民が多い。
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Image:Iglesia del Llano Mérida.jpg|メリダのリャノ教会
Image:Divinapastbqto.jpg|[[バルキシメト]]大聖堂.
Image:Mezquita Sheikh Ibrahim Bin Abdulaziz Al - Ibrahim.jpg|カラカスの[[メスキータ・イブラヒーム・イブン・アブドゥル・アジーズ・アル・イブラヒム (カラカス)|スキータ・イブラヒーム・イブン・アブドゥル・アジーズ・アル・イブラヒム]]
Image:San Constantino and Santa Elena Romanian Orthodox Church.jpg|Iglesia Ortodoxa Constantino y Elena de Caracas
Image:Catedral de Mérida, Venezuela.jpg|[[メリダ]]大聖堂.
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=== 映画 ===
社会問題となっている営利誘拐を取り扱った、『特急誘拐』(邦題は『ベネズエラ・サバイバル』)は記憶に新しい。
 
=== 音楽 ===
[[Image:Joropo foto.jpg|200px|right|thumb|ベネスエラのホローポ。エロイ・パラシオス画(1912(1912)]]
[[リャノ]]から生まれた舞踊の音楽[[ホローポ]]は国民音楽であり、[[アルマ・ジャネーラ]](平原児(ジャネーロ)の魂)という[[オペレッタ]]から生まれた[[フォルクローレ]]は第二国歌とも呼ばれている。スペイン伝来の[[クアトロ]](4(4の意味から四弦)や[[アルパ]]が広く使われている。なお、日本でも良く知られている[[コーヒー・ルンバ]]はベネスエラ出身のアルパ奏者、[[ウーゴ・ブランコ]]によって演奏されてヒットした曲である。
 
古くはメレンゲ([[ドミニカ共和国]]のメレンゲとは異なる)がダンス・ミュージックだったが。これはやはりカリブ海諸国の常として[[サルサ (音楽)|サルサ]]に取って代わられた。このためサルサにおいてベネスエラは何人かの重要なミュージシャンを輩出している。他にも[[1960年代]]からマラカイボ周辺で[[ガイタ (音楽)|ガイタ]]([[ガリシア]]の[[バグパイプ]]に由来)というスタイルのリズムが流行し、[[1980年代]]からカリブ海岸の都市で黒人音楽[[タンボール (音楽)|タンボール]](スペイン語で太鼓の意味であり、[[ウルグアイ]]の黒人音楽[[カンドンベ]]の楽器も[[タンボール]]であるので紛らわしくならないよう注意したい)が復古されている。
しかし、ベネスエラ独自の[[リズム]]で[[キューバ音楽]]や、アンデスの[[フォルクローレ]]、コロンビアの[[クンビア]]のように、国境を越えて商業的な成功を遂げたリズムは、コーヒー・ルンバの一過性のブーム以外には現在のところ存在しない。
そのためベネスエラを知られざる音楽大国と呼ぶか、音楽的に薄く商業的な成功の見込めない国と呼ぶかは微妙なところである。
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ベネスエラ国内には、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]リストに登録された文化遺産が2件、自然遺産が1件ある。詳細は、[[ベネズエラの世界遺産]]を参照。
<gallery>
Image:CalleCoroVzla.jpg| [[コロとその港]] - (1993(1993年、文化遺産)
Image:Angelfall.jpg|[[カナイマ国立公園]] - (1994(1994年、自然遺産)
Image:Alejandro Otero Mateo Manaure UCV 1954.JPG|[[カラカスの大学都市]] - (2000(2000年、文化遺産)
</gallery>
 
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<tr><td>[[8月4日]]</td><td>[[ボリーバル主義国家警備隊]]の日</td><td> Día de la Guardia Nacional Bolivariana </td><td></td></tr>
<tr><td>[[9月11日]]</td><td>[[聖母コロモト]]の日</td><td>Dia de Nuestra Señora de Coromoto </td><td></td></tr>
<tr><td>[[10月12日]]</td><td>インディヘナの抵抗の日</td><td>Día de la Resistencia Indígena</td><td>旧民族の日(Día(Día de la Raza)Raza)。元々はコロンのアメリカ発見を称えたものだったが、チャベス政権に入ってから[[グアイカイプーロ]]を称えて変更された。</td></tr>
<tr><td>[[11月1日]]</td><td>[[諸聖人の日]] </td><td>Día de Todos Los Santos </td><td></td></tr>
<tr><td>[[11月2日]]</td><td>[[死者の日]]</td><td>Día de los Muertes</td><td></td></tr>
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=== 参考文献 ===
* 中川文雄、松下洋、遅野井茂男『世界現代史34 ラテンアメリカ現代史Ⅱ』山川出版社、1985年
* 増田義郎()『新版世界各国史26 ラテン・アメリカ史Ⅱ』山川出版社、2000年 (ISBN(ISBN 4-463-41560-7)7)
* 下中彌三郎()『世界文化地理体系24 ラテン・アメリカ』平凡社、1954年
* 福井英一郎()『世界地理14 ラテンアメリカⅠ』朝倉書店、1978年
* P.E.ジェームズ()、山本正三、菅野峰明()『ラテンアメリカⅡ』二宮書店、1979年
* 野沢敬()『朝日百科 世界の地理12 ラテンアメリカ』朝日新聞社、1986年(ISBN(ISBN 4-02-380006-6 C6325)C6325)
* 国本伊代、乗浩子()『ラテンアメリカ都市と社会』新評論、1991年(ISBN(ISBN 4-7948-0105-X C0030)C0030)
* 坂井正人、松本栄次、鈴木紀()『朝倉世界地理講座-大地と人間の物語-14 ラテンアメリカ』朝倉書店、2007年(ISBN(ISBN 978-4-254-16804 C3325)C3325)
 
== 外部リンク ==