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などが挙げられる。また、同じ氏族でも、御子左流のようにその解釈を巡って分裂して異なる家学を伝える例もあった。また、家学でも一子相伝の閉鎖的なものもあれば多数の弟子を抱えて宗家を支える構造を取るものもあった。
 
[[中世]]に入ると、[[宋学]]の影響によって[[四書]]が重視されるようになると、明経道において新たに「明経道四書」を制定し、また[[足利学校]]でもこれに対抗して[[学校点]]と呼ばれる乎古登点を定めて学術における特権維持を図った。

中世後期に入ると、「家、々(家)にあらず。継ぐを以て家とす」([[世阿弥]]『[[風姿花伝]]』)に代表されるように「家学」そのものの継承を優先として血縁者ではなくても教えに忠実な門人が継ぐ場合でも結果的には「家学」は守られるという考え方も生じた。こうした中で師弟関係を家族関係に置き換えて家学の伝承を図ろうとする「[[家元]]」制度が形成されるようになる。家元制度は家学宗家の権威を高める一方で家元である宗家当主は門人を免許の発給を通じて家学を支配していく役目に転化していったため、勿論家元に相応しい技能を有した宗家当主も存在したものの、それに相応しい能力を有しない継承者の隠蔽の役割も果たすことになった。
 
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