「チャタル・ヒュユク」の版間の差分

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'''チャタル・ヒュユク'''(-・'''ホユック''',-・'''フユク'''とも;'''Çatalhöyük''' {{IPA|/ʧɑtɑl højyk/}} ,''Çatal Höyük'' , ''Çatal Hüyük'')は、[[アナトリア]]地方南部、現在の[[トルコ共和国]]、コニヤ (Konya)市<ref>古代ではイコニウム (Iconium)と呼ばれた。</ref>の南東数十km、コニヤ平原に広がる小麦畑をみおろす高台に位置する[[新石器時代]]から[[銅器時代|金石併用時代]]の[[遺跡]]である。その最下層は、[[紀元前7500年]]にさかのぼると考えられ、遺跡の規模や複雑な構造から世界最古の都市遺跡と称されることもある。チャタルとはトルコ語でforkを意味し、ヒュユク(ホユック)で丘や塚を意味するので「分岐した丘」の意味となる。
 
チャタル・ヒュユクの[[遺丘]]は、チュルサンバ (Çarsamba)・チャイ川の旧河床を挟んで東西にあって、東側は、長径500m、短径300m、高さ20m弱の卵形で西側に比べて規模が大きい。うち新石器時代の文化層は15mに達し、14層の文化層が確認されている。年代的には[[放射性炭素年代測定]]で[[紀元前6850年]]から同6300年にあたる時期のもので、チャタル・ヒュユクの本体である。西側の遺丘は、チャタル・ヒュユク西遺跡と呼ばれ、径400m、高さ7.5mで規模的には東側に比べて小さく、2期にわたる彩文土器の発達した文化層が確認されており、上層は、青銅器が出現する[[ハラフ期]](4300 B.C.頃)並行とされ全体的にやや新しい。
 
== 研究史 ==