「團團珍聞」の版間の差分

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おもに、[[本多錦吉郎]]、[[小林清親]]、[[田口米作]]が漫画をかいた。また、[[幸徳秋水]]が茶説、[[小山内薫]]が狂句や狂歌を書くなどしている。創刊した[[野村文夫]]は広島出身のジャーナリストで、[[1855年]]に緒方洪庵の適々斎塾に入門して[[蘭学]]を学び、[[1865年|65年]]には佐賀藩藩士[[石丸虎五郎]]、[[馬渡八郎]]とともにヨーロッパに密航留学している。帰国後、藩の洋学教授をへて新政府に出仕、工部省、民部省などにつとめるが、自由民権運動が高揚してきた[[1877年|77年]]に官を辞して創刊、ジャーナリストとして自由民権運動にかかわっていった。
 
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