「鄭鑑録」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
編集の要約なし
10行目:
| latin=Jeonggamrok
|}}
'''鄭鑑録'''(ていかんろく)は、[[朝鮮王朝]]時代中期に成立した[[朝鮮]]の[[讖緯|讖緯書]]([[予言|予言書]])。[[漢城]]に都を置く李氏の王朝が500年で滅亡したのち[[鶏龍山]]に鄭氏の王朝が建国されて800年続くという趣旨内容である。朝鮮王朝によって禁書とされたが民間に流布し、民間宗教や民衆運動に影響を及ぼした。
 
== 概要 ==
鄭鑑録は、李氏の祖先である李沁という人物と、鄭氏の祖先である鄭鑑という人物の会話という形式で記されている。漢字の分解(破字)や暗喩などのさまざまな[[暗号]]的技法で記されており、文言は多様な解釈が可能である。また、多くの異本がある。
 
李氏の王朝の末期に来たるべき戦乱や災禍を描いた[[終末論]]的な内容や、戦乱の中でも生き残ることのできる「十勝之地」に触れた[[風水|風水地理説]]に関する内容、[[易姓革命]]という形で行われる体制変革に関する内容を含んでいる。この書の予言を利用した事件に[[鄭汝立の謀叛事件]](1569年)などがあるが、とくに朝鮮王朝の建国(1392年)から実際に500年が経過する19世紀後半以来、王朝による支配体制への不満、列強による侵略に対する民族意識の高揚、日本による植民地支配に対する抵抗の中で、当時の政治的・社会的状況が鄭鑑録の記述と重ねあわされ、しばしば浮かび上がった。
 
朝鮮南部から現れて[[鶏龍山]]に新王朝を築く鄭氏は[[真人]]であるとされ、一種の[[救世主]]である。救世主の到来と理想の王国の建設を待望する信仰は「南朝鮮信仰」と呼ばれ、[[東学]]の思想にも影響を及ぼした。鄭氏の王朝が都を置くとされている鶏龍山は一般に、[[大田広域市]]と[[鶏龍市]]の境にある山とされている([[巨済市]]などにも同名の山がある)。大田の鶏龍山には新都安(シンドアン)という地名があり、各種の新興宗教が多く本拠を構えている。
 
== 関連項目 ==
* [[鶏龍山]]
* [[鶏龍市]]
* [[東学]]