「ノート:日本語の方言」の版間の差分

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:現在[[日本語の方言]]にある方言の区分や各方言記事を見ると、県単位や、県をいくつかに分ける程度の区分では日常的な区分が用いられ、その上位区分や下位区分では学問的な区分が用いられており、区分体系としてゆがみが生じています。この状態で記事をそれぞれ発展させようとしてもやはり無理が生じてくるでしょう。既にかなりの数の記事が立っているので大変ではありますが、日本語の全ての諸方言をどのように区分し、そのうちどの段階の区分の記事をどのような名称で立項するかを、日本語方言全体から見た観点で一度統一的に整理しなおすことが必要だと思います。このまま改名せず放置して記事の成長を待っても、記事名も不統一、記事として作られる方言の基準も不統一、実態と合わない区分名のため記事の内容にも無理が生じる、ということにもなりかねません。まだまだ各方言記事の内容が発展途上かつ未整理の今はある意味チャンスです。もし抜本的な整理が必要なら今やるべきだと思います。その際にどのような方言区分や呼称が適当かということを調査するために自ら資料に当たったりする労も惜しまないつもりです。 [[利用者:Enirac Sum|Enirac Sum]] 2008年4月6日 (日) 19:39 (UTC)
 
:なるほど、「~弁」というほうが方言範囲の括りとして使われることもあるのですね。ならばなおのこと、何を「~弁」「~方言」と呼ぶかという確たる定義もないことになります。これを統一・整理・再定義しようとすること自体が「独自の研究」になってしまうおそれはないのでしょうか? 私は単純にこの不統一については、「~弁」という名前がついていない(誰もそう呼ばない)方言について、仕方なく「~方言」という呼称が使われているという現状をそのまま表しているに過ぎないと思います。つまり個別の方言に関する研究というものがそれほどに殆どされていないのだと。朝日放送の探偵ナイトスクープという番組での「アホバカ分布図」という企画が放送業界の賞を受けたというこ記憶があります。そういう現状です。Wikipediaの個別の方言の項には「独自の研究」タグが付けまくられていますが、独自でない研究がない以上それはそうなってしまうでしょう。「独自の研究」であることについては否定はしませんが、そのタグに「出典を示せ」という文言がある以上それになじめません。そういう、学者が研究対象としての価値を認めていないようなことに対しても記述をすることがWikipediaの特徴でもあると思うのです。個人の創作である「独自の研究」は排除されるべきだと思いますが、実際に存在することについての記述はむしろ推進されるべきかと思います。方言がだんだんと消え去って行こうとする現代にあっては。・・・・話がそれてしまいましたが、とにかく「誰もそう呼んでいない」呼称にするような統一は必要ないと思いますし、そうでなければ学術的でないとも思わないのです。---[[利用者:FAT26|FAT26]] 2008年4月7日 (月) 04:12 (UTC)
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