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'''ギュンター・プリーン'''('''{{lang|-de-short|'''Günther Prien}}'''}}、[[1908年]][[1月16日]] – [[1941年]][[5月7日]])は[[ドイツ海軍]](Kriegsmarine)の[[軍人]]。[[第二次世界大戦]]初期における著名な[[Uボートエース]]の一人で、最初に[[鉄十字|騎士鉄十字勲章]]を授与された[[Uボート]]艦長である。プリーンの指揮の下、[[潜水艦]][[U-47 (1938)|'''U-47''']]は30隻以上の連合国艦船、合計約20万[[トン]]を撃沈した。しかし、彼の飛び抜けて、かつもっとも有名な戦績といえば[[イギリス海軍]][[本国艦隊]](The Home Freet)の本拠地[[スカパ・フロー]]に係留されていた[[戦艦]][[ロイヤル・オーク (戦艦)|ロイヤル・オーク]]を撃沈したことである。
<!-- '''Korvettenkapitän Günther Prien''' ([[16 January]] [[1908]] &ndash; [[7 March]] [[1941]]) was one of the outstanding German [[List of U-boat aces|U-boat aces]] of the first part of the [[Second World War]], and the first [[U-boat]] commander to win the [[Knight's Cross]]. Under Prien's command, the [[submarine]] [[Unterseeboot 47 (1938)|''U-47'']] sank over 30 [[Allied]] [[ship]]s totaling about 200,000 tons. By far his most famous exploit, however, was the sinking of the [[United Kingdom|British]] [[battleship]] [[HMS Royal Oak (08)|HMS ''Royal Oak'']] at anchor in the Home Fleet's anchorage in [[Scapa Flow]]. -->
 
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[[画像:U-47 raid.svg|thumb|250px|U-47のスカパ・フロー侵入]]
<!-- [[画像:Prien-hitler-schmidt.jpg|thumb|325px|Prien, Hitler and Ernst Schmidt]] -->
[[1939年]][[10月14日]]、プリーンは、水深が浅く、浅瀬の位置も分からず、水流が複雑で、かつ、守備隊に探知される危険を冒し、イギリス海軍の主要基地[[スカパ・フロー]]に侵入した。イギリス本国艦隊のほとんどが海上に出ていたとはいえ、プリーンは戦艦ロイヤル・オークを撃沈して帰還、たちまち有名になった。彼はドイツ海軍軍人の中で初めて騎士鉄十字勲章を授与された。
 
この作戦でスカパ・フローに侵入するものは志願者のみとされていたが、プリーンは躊躇なくこの任務を引き受けた。この作戦が志願のみで行われた証明とするため、プリーンはU-47がスカパ・フロー侵入の前、[[北海]]上で停泊している時に、クルーに対しこの作戦への志願を望まないものは直ちに艦から下りるよう告げた。北海のど真ん中にいては当然だれも下りる者はなかった。{{要出典}}