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{{クラシック音楽}}'''ジングシュピール'''('''Singspiel''')は[[ドイツ語]]による歌芝居や[[大衆演劇]]の一形式を指す。こんにちの[[ミュージカル]]に似ているが、一種の[[オペラ]]や[[オペレッタ]]と呼ばれもする。地の[[台詞]]のやり取りや、時に音楽にかぶさる演技、[[アンサンブル]]、俗謡・俚謡・[[バラッド]]の引用、時として[[民謡]]調で[[有節形式]]による[[アリア]]が特徴である。
 
元来「ジングシュピール」は、おそらくは[[18世紀]][[イングランド]]の[[バラッド・オペラ]]の翻訳から始まったとされるまた[[フランス]]の[[オペラ・コミック]]もしばしばドイツ語に翻訳された。ジングシュピールはおもに大衆[[娯楽]]と看做されであり、大都市に拠点を置く既成の団体ではなく、旅する一座によって上演されるのが常であった。ジングシュピールの筋書きの多くは、コミカルあるいはロマンティックであり、しばしば[[魔術]]や、空想上の生き物が登場し、勧善懲悪のコミカルな誇張が含まれる。反面、ジングシュピールにおいてはあまり[[悲劇]]は素材にされない
 
[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]はジングシュピールの名作を遺しており、初期の『バスティアンとバスティエンヌ』K.50を経て『[[ツァイーデ]]』K.344(未完成)、[[1782年]]には皇帝の委嘱でウィーンの新国立劇場のために『[[後宮からの誘拐]]』K.384を作曲。その他『[[劇場支配人_(歌劇)|劇場支配人]]』K.486を作曲し、最晩年にはジングシュピールの傑作『[[魔笛]]』K.620を発表。『魔笛』は後世に深く影響を与えベートーヴェン以後のドイツ・オペラへと発展していく。
ジングシュピールの筋書きは、性格においてはコミカルないしはロマンティックで、しばしば[[魔術]]や、空想上の生き物、勧善懲悪のコミカルな誇張を含んでいる。[[悲劇]]はあまり頻繁な[[モチーフ]]ではないものの、ジングシュピールの中には、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の《[[フィデリオ]]》や[[カール・マリア・フォン・ウェーバー|ウェーバー]]の《[[魔弾の射手]]》のように、こんにちオペラの標準的レパートリーの一部となっているものがあり、これらは真面目なテーマが扱われているということを憶えておくとよい。
 
以降系譜としては[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の『[[フィデリオ]]』や[[カール・マリア・フォン・ウェーバー|ウェーバー]]の『[[魔弾の射手]]』などもジングシュピールの発展したものと見なされる。[[ハインリヒ・マルシュナー|マルシュナー]]ら多くの[[ロマンティック・オペラ]]の先駆的な作曲家によって、より複雑な歌劇様式が発展し、[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]や[[リヒャルト・シュトラウス|R.シュトラウス]]の[[楽劇]]に至った。
[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]は、皇帝の委嘱でウィーンの新国立劇場のために《[[後宮からの誘拐]]》を[[1782年]]に作曲して、ジングシュピールに手を染めた。モーツァルトはその後もこのジャンルを手懸け、《[[ツァイーデ]]》や《[[劇場支配人_(歌劇)|劇場支配人]]》、《[[魔笛]]》のような作品を作曲した。
 
ジングシュピールは、他のさまざまな音楽ジャンルや演劇ジャンルからかなり多くの要素を取り込んでいると論じる向きもあるけれども、そのような明快な格付けを寄せ付けないのがジングシュピールなのである。ジングシュピールは、ドイツ・[[ロマンティック・オペラ]]の前身と看做され、(上記のベートーヴェンやウェーバーらのほか、)[[ハインリヒ・マルシュナー|マルシュナー]]ら多くのロマンティック・オペラの先駆的な作曲家によって、より複雑な歌劇様式への道が拓かれ、[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]や[[リヒャルト・シュトラウス]]の[[楽劇]]に至った。だがしかし、このような進化の結果として、古典的なジングシュピールそのものじたい[[19世紀]]末までに、抜本的に時代遅になっしまった。おり、こんにち古典的な標準レパートリーと認められているジングシュピールはごく一握りの作品だけである。
 
== 関連項目 ==