「義勇兵」の版間の差分

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== 義勇兵が多く参加した戦争 ==
 
=== ロシア内戦 ===
[[ロシア]]には元来「義勇」の軍をよしとする風潮があった。そのため、[[1917年]]の[[ロシア革命]]後に発生した[[ロシア内戦]]や関連する戦争・紛争は、多くの軍人・市民が「義勇兵」として軍隊に参加した。
 
「義勇兵」の参加でもっともよく知られているのは[[白軍]]で、最大の白軍組織はまさに[[義勇軍_(白軍)|義勇軍]]を名乗っていた。対する[[赤軍]]も事実上は義勇軍的な組織であった。
 
独立した[[ウクライナ国民共和国]]は軍隊を保有したが正規軍がではなく、[[ウクライナ・コサック]]、市民、旧ロシア帝国軍人らが義勇軍を組織し共和国の維持に貢献した。特に義勇[[キエフ大学]]学生連隊が侵攻した赤軍と戦って全滅した[[クルートィの戦い]]は有名で、[[ソ連崩壊]]後は現地で大々的に追悼行事が開催されるようになっており、[[ウクライナの大統領]]も公式に参列している。
 
この時期の義勇軍組織に参加した著名人としては、白軍に参加しのちに『[[白衛軍_(ブルガーコフ)|白衛軍]]』を物した[[ミハイル・ブルガーコフ]]や、赤軍に参加しのちに『[[騎兵隊_(バーベリ)|騎兵隊]]』を物した[[イサーク・バーベリ]]が知られる。
 
=== スペイン内戦 ===
[[スペイン内戦]](1936年~1939年)では、人民戦線軍と反乱軍の双方に多くの義勇兵が参戦した。特に人民戦線側の「[[国際旅団]]」は多くの文化人が参加したために有名で、[[アーネスト・ヘミングウェイ]](『[[誰がために鐘は鳴る]]』)や[[アンドレ・マルロー]](『希望』)、[[ジョージ・オーウェル]](『カタロニア賛歌』)などがいた。いずれもその体験をモチーフにした作品を残している。