「足利義氏 (古河公方)」の版間の差分

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'''足利 義氏'''(あしかが よしうじ)は、第5代[[古河公方]](在位:[[1552年]] - [[1583年]])。同名の[[足利義氏 (足利家3代目当主)|足利義氏]]から数えて14代目の子孫に当たる。
 
※ 日付は、[[和暦]]による[[旧暦]]。[[西暦]]表記の部分は、[[ユリウス暦]]とする。
 
 
== 生涯 ==
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[[元亀]]元年([[1570年]])頃、ようやく古河公方として古河に戻ることは許されたが、それは氏康の子・[[北条氏照]]を後見人にするという、結果的には傀儡と変わらないように地方を移されただけのものであった。
 
[[天正]]11年([[1583年]])1月21日、死去。{{、[[享年|1541|2|10|1583|2|13}}]]43(満42歳没)。嫡男の[[足利梅千代王丸|梅千代王丸]]が早世していたため、古河公方の家臣団は梅千代王丸の姉である[[足利氏姫]]を[[古河城]]主として擁立した。
 
名族の血筋が断絶することを惜しんだ[[豊臣秀吉]]の計らいで、氏姫は[[小弓公方]]であった[[足利義明]]の孫[[足利国朝]]と結婚し、[[喜連川氏]]を興した。