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'''三帝同盟'''(さんていどうめい)は19世紀[[ドイツ帝国]]が結んだ同盟。ドイツ[[首相]][[オットー・フォン・ビスマルク|ビスマルク]]の提唱により[[1873年]]締結。
 
==概要==
同盟国は[[ドイツ帝国|ドイツ]]・[[オーストリアハンガリー帝国|オーストリア]]・[[ロシア帝国|ロシア]]の3カ国。[[フランス]]の包囲・孤立を目的として発足した。三国とも[[帝政]]であることから三帝同盟と呼ばれる。しかしこの同盟はロシアとオーストリアの[[バルカン半島]]を巡る対立から発足当初から足並みがそろわなかった。[[1878年]]の[[ベルリン会議 (1878年)|ベルリン会議]]を機に事実上解消。大国間の勢力均衡崩壊を恐れたビスマルクは[[1881年]]二国間の勢力調整をした上で[[三帝協商]]を発足させるがそこでも[[汎スラヴ主義]]と[[パン=ゲルマン主義|汎ゲルマン主義]]の対立が消える事はなかった。
 
[[1878年]]の[[ベルリン会議 (1878年)|ベルリン会議]]を機に事実上解消。大国間の勢力均衡崩壊を恐れたビスマルクは[[1881年]]二国間の勢力調整をした上で[[三帝協商]]を発足させるがそこでも[[汎スラヴ主義]]と[[汎ゲルマン主義]]の対立が消える事はなかった。
 
[[Category:ドイツ帝国|さんていとうめい]]