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{{改名提案|大宮院|date=2008年4月|t=Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族/女院の記事名について}}
{{記事名の制約|西園寺姞子}}
'''西園寺 姞子'''(さいおんじ きつし、[[嘉禄]]元年([[1225年]])-[[正応]]5年[[9月9日_(旧暦)|9月9日]]([[1292年]][[10月20日]]))は、[[後嵯峨天皇]]の[[中宮]]で後に[[皇太后]]。[[西園寺実氏]]の長女で、母は[[四条隆衡]]の娘・[[四条貞子]](北山准后)。[[後深草天皇|後深草]]・[[亀山天皇|亀山]]両[[天皇]]の生母、[[女院]]。[[戒名|院号]]は'''大宮院'''(おおみやいん)。[[戒名|法名]]は'''遍智覚'''(へんちかく)。
 
[[仁治]]3年([[1242年]])1月の後嵯峨天皇の即位を受けて、6月に急遽18歳にして同天皇の[[女御]]となり、その2ヵ月後に[[中宮]]に冊立された。4年後、後嵯峨天皇が姞子所生の後深草天皇に[[譲位]]して[[上皇]]となったのを受けて、[[宝治]]2年([[1246年]])6月に院号[[宣下]]を受けて「大宮院」の称号を与えられた。