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'''高柳 敏夫'''(たかやなぎ としお、[[1920年]][[2月20日]] - [[2006年]][[9月5日]])は[[棋士 (将棋)|将棋棋士]]である。名誉九段。棋士番号31。[[東京都]]出身。師匠は[[金易二郎]]名誉九段門下
 
== 人物 ==
*[[中原誠]]をはじめ、多数の棋士を育てたことで知られる。[[田中寅彦]]は、大阪出身であるにもかかわらず、高柳一門は名門であるから門戸を叩いたという
*[[日本将棋連盟]]副会長を通算2期、常務理事を1期務めた。
*師匠・金名誉九段の娘と結婚している。
*[[順位戦]]A級に4期在籍したほどの実力者でありながら、B級1組からの陥落が決まった1963年に43歳の若さで現役引退する。引退後は[[観戦記]]の執筆や弟子の育成に力を注いだ。
*第1期王将戦で[[升田幸三]]が[[木村義雄]]名人を相手に香落ちの指込みに持ち込んだ時、「天皇の[[玉音放送]]を聞いた時よりショックだった」と語っている。
*[[1989年]]、第1回[[将棋ペンクラブ]]大賞受賞。
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== 弟子 ==
*[[芹沢博文]]
*[[中原誠安恵照剛]]
*[[田寅彦]]原誠
*[[宮田利男]]
*[[大島映二]]
*田中寅彦
*[[伊藤果]]
*[[島朗]]
*[[清水市代達正光]]
 
以下は、[[女流棋士 (将棋)|女流棋士]]
*[[蛸島彰子]]
*[[宇治正子]]
*[[清水市代]]
*[[船戸陽子]]
*[[早水千紗]]
 
== 昇段履歴 ==
*[[1940年]] 初段
*[[1942年]] 四段 = プロ入り
*[[1944年]] 五段
*[[1947年]] 六段
*[[1948年]] 七段([[順位戦]]の旧B級へ昇級)
*[[1950年]] 八段(順位戦A級昇級)
*[[1963年]] 引退
*[[1992年]] 名誉九段
 
== 主な成績 ==
*順位戦A級在籍4期(第5期 - 第8期)
=== 将棋大賞 ===
*第15回[[将棋大賞]]([[1987年]]度) 東京将棋記者会賞
 
 
== 著書 ==
*高柳詰将棋選集(2001年12月、[[日本将棋連盟]]、ISBN 4-8197-0256-4)
 
 
==関連項目==
*[[将棋棋士一覧]]
 
 
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