「ミキ・ビアシオン」の版間の差分

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===WRC===
ミキの黄金期は80年代の[[ランチア]]時代で、[[ランチア・ラリー037]]、[[ランチア・デルタS4|デルタS4]]でWRC参戦をきっかけに、87年のグループA草創期はデルタHF4WDでWRCのトップコンテンダーの仲間入りを果たす。そして、翌88年に悲願のWRCタイトルを獲得。
89年も[[トヨタ]]との争いが激しくなる中、地元サンレモから投入されたニューマシン、デルタHFインテグラーレ16Vを操り、この年、トヨタに移籍した新鋭、[[カルロス・サインツ]]見事破って勝利を飾るとその年のタイトルも獲得した。
 
1990年にフランスの新人、ディディエ・オリオールやユハ・カンクネンらのランチア加入により、以前のような速さでラリーを圧倒することはなくなったものの、ミキは巧みなラリー運びでその後も勝利を挙げていく。だが、チーム代表がレーシング畑のジョルジョ・ピアンタに代わると、チーム首脳との関係が悪化。これによって、1992年は長年在籍したランチアを離れ、[[フォード]]に移籍する。しかし、[[フランス]]の若手、[[フランソワ・デルクール]]を中心としたチーム運営に加え、チーフ・エンジニアのフィリップ・ドゥナビンを始め、役所体質と言われた独特のチーム運営がミキのフラストレーションを高め、なかなか思うような成績を出せなくなり、終いにはチームの組織編成に伴いマシン開発も満足に出来ない状況に陥り、結果、フォード時代にあげた勝利は1993年のアクロポリスのみにとどまる。