「ポール・ランド」の版間の差分

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ジョブズの評価と絵本の仕事を追加、外部リンクの説明を一部訳出
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 ランドが20代の輝かしい活躍で築いた評判は以後衰えることがなかった。むしろ、その後の作品や書いたものがその分野における彼の"éminence grise"(=陰の立役者)としての地位を確立してゆくにつれ、その名声はますます堅固なものとなってゆく。<ref name="beirut2"/>
 
 ランドは1950年代から1960年代にかけて制作した企業[[ロゴ]]の分野で一番知られているが、もともと評価されたのは初期のページ・レイアウト(タイプセッティング)の仕事である。1936年、ランドは''Apparel Arts''という雑誌の記念号のページ・レイアウトを任される<ref name="heller"/>。彼の才能は「ありふれた写真をドラマチックな構成に変え、誌面の説得力を大きく増」し、ランドはフルタイムの業務を与えられることになった。さらには''Esquire''誌や''Coronet''誌からアート・ディレクションのオファーを呼び込んだ。ランドは、初めは「まだ自分はそうしたレベルに達していない」としてオファーを断っていたが、一年後には''Esquire''誌のファッションのページの責任者になることを決意する。このとき若干23歳であった。
 
 ''Direction''誌のカバーのデザインは、そのころまだ模索中であった「ポール・ランド風」デザインを展開していくための重要なステップとなったようである<ref name="heller"/>。1940 年12月号のカバー(英語版本記事の図Aを参照)は、[[有刺鉄線]]のイメージによって戦渦で破壊された贈り物と十字架を現したもので、この雑誌の仕事での「芸術的自由」を端的に示すものになっている。『デザインについて』(''Thoughts on Design'')で、ランドはこれはついて「重要なのは、十字架が、宗教的な含意から開放された純粋な造形として、攻撃的な垂直性(男性性)と、受動的な水平性(女性性)の完璧な融合として表現されることである」と述べている<ref name="rand2">Rand, Paul. ''Thoughts on Design.'' New York: Wittenborn: 1947.</ref>。
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 ランドのロゴ・デザインはシンプルで単純なものだと見なされやすい。彼は『デザイナーの技芸』(''A Designer’s Art'')の中ですでに「オリジナルのものやエキサイティングなものを生み出すためにアイデア自体が難解なものになる必要はない」と指摘している<ref name="rand2"/>。こうしたミニマルな理想と、ロゴは「最大限のシンプルさと慎ましさをもってデザインしなければ生き残るものにはならない」<ref name="rand2"/>というランドの理念は、彼のABCテレビのためのロゴ(1962年)に典型的に示されている。
 
 ランドは高齢になってからも制作に旺盛で、80年代、90年代に入ってからも多くの重要なコーポレート・アイデンティティを制作し続けた。この中にはひとつのソリューションのために10万ドルが支払われたという噂もある<ref name="beirut2"/>。後期の仕事で注目に値するのは[[NeXT]]社のための[[スティーヴ・ジョブズ]]との恊働である。ランドは社名を二行に分けたシンプルな黒い立方体のロゴをデザインし、ジョブズはその視覚的な調和をいたく気に入ったという。これまでのランドの仕事によって喜んだクライアントを挙げるとすれば、ジョブズが筆頭だろう。1996年のランド死去の前、ジョブズはランドを「存命中の最も偉大なグラフィック・デザイナー」と称している<ref name="behrens"/>、またランドの仕事を話題にした1993年のインタビューでは、ジョブズはランドを「私が会った中で最もプロフェッショナルな人間のひとり」、「深い思想家」、「ユニークなアーティスト」と呼んで極めて高い評価を与えている<ref>外部リンクのインタビュー(youtube)を参照。</ref>。
 
==影響とそのほかの仕事==
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 この「日常を異化する」という、一般にロシアのフォルマリズム批評家[[ヴィクトル・シクロフスキー]](Viktor Shklovsky)は帰せられるストラテジーは、ランドのデザインの規準にとって大きな意味を持っていた。たとえば電球のようなありふれた製品のために、コーポレート・アイデンティティを用いて「生き生きとしてオリジナルな」パッケージをデザインする、というような[[Westinghouse]]社の課題はその典型的な例である。
 
===アン・ランドとの仕事===
 
 これまでに挙げた理論書に加えて、妻のアンとともに娘のために絵本を制作している。''I Know a Lot of Things''(1973)(青山南訳『ぼくはいろいろしっているよ』)、''Listen! Listen!''(1970)(谷川俊太郎訳『きこえる! きこえる!』)、''Little 1''(1962)(谷川俊太郎訳『ちいさな1』)など代表作は邦訳を含めて各国語に訳され、親しまれている。
 
==参考文献==
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==外部リンク==
* [http://www.logoblog.org/wordpress/paul-rand/ Paul Rand – Corporate Identity Designs, Innovation and Excellence]
*Discussion on the [http://typographi.com/000561.php replacement of Rand's 新旧UPS logoロゴに関する議論の例(英文)].
*[http://design.rit.edu/biographies/rand.html Rochester Institute of Technology (RIT) Design's biography page of Paul Rand]
*[http://acg.media.mit.edu/events/rand/index.html Web section devoted Paul Rand's visit to the MIT Media Laboratory in 1996年のMITメディアラボ訪問についてのページ(英文)]
*[http://www.adcglobal.org/archive/hof/1972/?id=300 Art Directors Club biography, portrait and images of workアート・ディレクターズ・クラブによる年譜、肖像、作品紹介(英文)]
*[http://www.oneclub.org/oc/hall_of_fame/ One Club Hall of Fame, podcast of induction video and images of work]
*[http://paul-rand.com/ Paul-Rand.com]
*[http://www.youtube.com/watch?v=xb8idEf-Iak Steve Jobs interview about Paul Rand`s work for Macintoshランドに仕事に関するステーヴ・ジョブズへのインタビュー]
*[http://d.hatena.ne.jp/abecedaire/20080419/p1 上記インタビューの和訳例]
 
[[Category:グラフィックデザイナー|らんと ほおる]]