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==コーポレート・アイデンティティ==
ランドの最もよく知られたグラフィック・デザインへの貢献は、その多くがなおも当時のまま使われている[[コーポレート・アイデンティティ]]の仕事である。なかでも、[[IBM]]、[[アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー|ABCテレビ]]、[[Cummins Engine]]、[[Westinghouse Electric (1886)ウェスティングハウス・エレクトリック|Westinghouseウェスティングハウス]]、そして[[ユナイテッド・パーセル・サービス|UPS]]などはランドの貴重な遺産を受け継いでいる(UPSは最近ランドのオリジナルデザインの変更を行い、議論を呼んだ<ref name="beirut2"/>)。彼の強みのひとつは、モホリ=ナジが指摘したように、企業にとって彼の提案がもっている必要性を説明する能力、いわばセールスマンとしての能力の高さであった。[[ルイス・ダンジガー]](Louis Danziger、グラフィック・デザイナー)は次のように語っている:
 
{{cquote|ランドはほとんど彼ひとりの力でデザインが効果的な道具であるということをビジネス界に納得させてしまった。[. . .] 1950年代から1960年代にかけてデザインをしていた者は、ランドに大きく助けられた。彼はそれが仕事になりうる状況を作ってくれたのだ。彼は誰よりもデザインという職能の地位を向上させることに貢献した。我々は彼のおかげで商業芸術家ではなくてグラフィック・デザイナーになることができたのだ。<ref name="heller"/>}}
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{{cquote|印象派からポップ・アートに至まで、平凡な物事やマンガさえもが芸術家の熱狂の栄養源になってきた。セザンヌがリンゴについて試みたこと、[[ピカソ]]がギターについて行ったこと、[[フェルナン・レジェ|レジェ]]が機械について、[[クルト・シュヴィッタース|シュヴィッタース]]がガラクタについて、そして[[デュシャン]]が便器でやったことは、新しいことは大げさなコンセプトを当てにしないということだ。これらの芸術家の課題は、日常性を異化することだったのである。<ref name="rand1">Rand, Paul. ''Paul Rand: A Designer’s Art.'' New Haven: Yale University Press, 1985</ref>}}
 
この「日常を異化する」という、一般にロシアのフォルマリズム批評家[[ヴィクトル・シクロフスキー]](Viktor Shklovsky)は帰せられるストラテジーは、ランドのデザインの規準にとって大きな意味を持っていた。たとえば電球のようなありふれた製品のために、コーポレート・アイデンティティを用いて「生き生きとしてオリジナルな」パッケージをデザインする、というような[[Westinghouseウェスティングハウス・エレクトリック|ウェスティングハウス]]社の課題はその典型的な例である。
 
===アン・ランドとの仕事===