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==初期の業績==
彼のキャリアはそれほど華々しいスタートをしたわけではなく、初めの仕事は新聞や雑誌にストック・イメージを提供する会社のパート・タイムであった<ref name="heller"/>。学校の課題と仕事の合間をつかってランドは相当な量のポートフォリオを作成している。これは[[ドイツ]]の広告のスタイル[[Sachplakatザッハプラカット]] (Sachplakat, object poster)や[[グスタフ・イエンセン]]の影響を受けたものであった。
 
はっきりとユダヤ系と分かる「ペレス・ローゼンバウム」という名前をカムフラージュし、簡単なものにするために名前を変えようと決意するのはこの時期である。ファーストネームは短くして「ポール」とし、叔父から「ランド」という姓を借りることにした。ランドの友人で恊働していたモリス・ヴィソグロード(Morris Wyszogrod)は、「彼は四文字ずつのPaul Randという名がすてきなシンボルになると思っていました。だから彼はポール・ランドになることにしたんです」<ref name="behrens"/>と語っている。[[ロイ・R・ベーレンス]]はランドの新たな名前の重要性を指摘している:「ランドは新しいペルソナを手に入れた。これはその後の多くの業績のブランド・ネームになったもので、つまり彼が一番最初につくりだしたコーポレート・アイデンティティだったのである。そしてこれは最も長持ちしたものだった」<ref name="behrens"/>。