「クレオール化」の版間の差分

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Lalezarde (会話 | 投稿記録)
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# 1946年[[カリブ海]]旧植民地の「海外県」としてのフランスの同化法案が[[フランス国民議会]]で採決される・・・フランスからの経済援助(戦争直後の経済的な危機)、本国と同様の労働者の権利の享受
# 本国で植民地解放が叫ばれる。本国同様、人権の理念が植民地にも及ぶ。知識人の間だけでなく、一般市民レベルでもクレオール語の抑圧、フランス語崇拝が広まる。
# しかし、[[同化]]は完全には起こらなかった。マルティニークへの対応は[[植民地主義]]を基調としたものであり続け、60年代には反植民地運動が起こる。独立論も高まる。1981年[[フランソワ・ミッテラン|ミッテラン]]の地方分権政策。マルチニックに[[自治権]]が与えられる。政治地位(自治、独立)の問題を先送りにして、経済発展と住民の意識の改革を優先
# 現地産業の空洞化、経済的従属
# 文化的同化現象<ref>現在でも小、中学校ではクレオール語による教育は排除されている。</ref>