「土井利則」の版間の差分

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{{武士/開始|土井利則}}
{{武士/時代|[[江戸時代]]後期から[[明治時代]]}}
{{武士/生誕|[[天保]]2年[[9月17日 (旧暦)|9月17日]]([[1831年]])9[[1022日]])}}
{{武士/死没|[[明治]]24年([[1891年]])[[8月26日]]}}
{{武士/別名|鋤抵若(幼名)、内膳(通称)}}
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'''土井 利則'''(どい としのり)は、[[下総国|下総]][[古河藩]]の第6代[[藩主]]。土井家宗家13代。
 
天保2年(1831年)9月17日、[[伊勢国|伊勢]][[久居藩]]主・[[藤堂高秭]]の四男として生まれる。[[弘化]]4年([[1847年]])3月7日に古河藩の第5代藩主・土井利亨の[[養子]]となる。[[嘉永]]元年([[1848年]])、利亨の死去により[[家督]]を継いで第6代藩主となる。12月16日に従五位下・大炊頭に叙位・任官する。
 
藩政では西洋砲術の演習、武芸の奨励、[[片町]]教武所の創設などに尽力しているが、病弱だったために藩政を執ることが次第に困難となり、[[慶応]]3年([[1867年]])4月5日に家督を長男・利与に譲って[[隠居]]した。