「ペール・テオドール・クレーベ」の版間の差分

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2008年5月1日 (木) 08:21時点における版

パー・テオドール・クレーベ(Per Teodor Cleve 、1840年2月10日1905年6月18日)はスウェーデンの化学者、地質学者である。ホルミウムツリウムを発見した。

ストックホルムに生まれた。ウプサラ大学で学び、1863年に博士号を得た。ウプサラ大学で働いた後、各国に留学し、1874年にウプサラ大学の一般化学、農業化学の教授となった。

1879年に、ホルミウムとツリウムを発見した。またカール・グスタフ・モサンデルが1841年に発見したヂディミウム(didymium)が、2つの希土類元素の混合物であること1874年に示した。1885年にヴェルスバッハが、ネオジムプラセオジムとして分離した。

1884年にイギリス王立協会から、希土類の研究の業績に対してデービーメダルを受賞した。探検家で鉱物学者のアドルフ・エリク・ノルデンショルドによって、鉱物のクレーベ石(cleveite)に命名された。

1970年度のノーベル生理学・医学賞を受賞したウルフ・スファンテ・フォン・オイラーは孫である。