「ナルシソ・イエペス」の版間の差分

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[[1952年]]に、パリのカフェで映画監督の[[ルネ・クレマン]]と偶然知り合い、「映画自体は、すでに撮ってあるがどんな音楽をつけたらよいか決めかねているので、映画のための音楽を担当してほしい」と監督から依頼を受ける。
 当初、アンドレス・セゴビアに音楽を担当してもらう予定だったが、すでに映画制作の為の予算を使い果たしており、セゴビアとは制作費の折り合いがつかず、当時まだ新人であったイエペスに音楽担当の依頼をする事となった。 そこで、24歳のイエペスは映画「[[禁じられた遊び]]」の音楽の編曲・構成、演奏を1本のギターだけで行った。そして、その映画が公開されると、メインテーマ曲「'''愛のロマンス'''」が大ヒットし、世界的に有名なギタリストとなった。
そこで、24歳のイエペスは映画「[[禁じられた遊び]]」の音楽の編曲・構成、演奏を1本のギターだけで行った。そして、その映画が公開されると、メインテーマ曲「'''愛のロマンス'''」が大ヒットし、世界的に有名なギタリストとなった。
 それから世界各地でリサイタルやオーケストラとの共演を行い、日本にも[[1960年]]から[[1996年]]までの間に計17回訪問した。