「ソウル・フラワー・ユニオン」の版間の差分

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== 略歴 ==
[[1988年]]に自主レーベル「ソウル・フラワー・レベル」を設立し、活動をともに行っていた2つのバンド、[[ニューエスト・モデル]]([[1985年]] - [[1993年]])と[[メスカリン・ドライヴ]]([[1984年]] - [[1993年]])が同時に解散し、統合するという形で、[[1993年]]9月に結成された。
 
同年11月に、メスカリン・ドライブのラスト・アルバムとして制作を開始していた[[アイヌ民族]]抵抗史をテーマに据えたアルバム『[[カムイ・イピリマ]]』(本作のみリード・ヴォーカルはexメスカリン・ドライブの[[うつみようこ]])でアルバム・デビュー。以降、日本列島近隣の[[民謡]]([[ヤマト]]、[[沖縄]]、[[朝鮮]]、[[アイヌ]]等)や古い大衆歌謡([[壮士演歌]]、[[労働歌]]、[[革命歌]]等)、[[アイリッシュ・トラッド]]や[[ジプシー]]音楽などの「少数民族、あるいは非抑圧者の奏でる音楽」を、ロックン・ロール、リズム&ブルース、スイング・ジャズ、カントリー、レゲエ、スカ、セカンド・ラインなどと融合させ、唯一無比の世界観を作り上げている。
 
[[1995年]]、[[阪神・淡路大震災]]の直後に伊丹英子の発案で、震災被災者を励ますために、[[ソウル・フラワー・モノノケ・サミット]]名義で「出前慰問ライヴ」を開始。諸般の理由からアコースティックな楽器を用いることにし、[[エレクトリックギター|エレキ・ギター]]を沖縄の[[三線]]に、[[ドラム]]を朝鮮の[[チャンゴ]]に持ち替え、他のメンバーはそれぞれ[[アコーディオン]]や[[クラリネット]]、[[チンドン]]太鼓などに持ち替え、[[マイク]]の替わりに[[メガホン]]・[[拡声器]]を使った。震災被災者の中でも、特に老人達のために、戦前戦後の[[流行り唄]]や[[壮士演歌]]、[[ヤマト民謡]]民謡・[[沖縄民謡]]・[[朝鮮民謡]]民謡・[[アイヌ民謡]]民謡などをレパートリーにし、[[ちんどん屋|チンドン]]・アレンジで演奏し、彼らを力付けた。この時、山口洋と共作した主旋律を元に書いた『[[満月の夕]]』では、震災の惨状や、復興への厳しい現実、そして、それらに向かい合う人々のひたむきな姿を歌い、大きな反響を得た。それを受け、この曲は後年においても[[ガガガSP]]や[[沢知恵]]、[[平安隆]]など複数の手によりカバーされている。また、同時期に「ソウル・フラワー震災基金」を立ち上げ、今現在も震災被災者の支援を積極的に行っている。
 
[[1997年]]、伊丹英子の耳の持病(音響外傷)が悪化し、[[ソウル・フラワー・ユニオン]]としての活動を一時停止するが、年末に活動再開。活動停止期間中は、[[ソウル・フラワー・モノノケ・サミット]]としての活動と、中川敬のソロ・ユニット、[[ソウルシャリスト・エスケイプ]]を行っていた。