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==概要と沿革==
屋敷神は屋敷およびその[[土地]]を守護する神で、屋敷の裏や敷地に付属した土地もしくはやや離れた[[山]][[林]]などに祀られることが多い。その呼ばれ方は地域によって様々である。[[家]]との関わりが深い神であるが、[[神棚]]などの[[屋内神]]とは異なり、原則として屋敷の中には祀られない。屋敷神を祀る信仰は、[[浄土真宗]]の地域を除いて全国に分布している。
 
屋敷神の起源は明確なことは分かっていない。しかし、後述するように、神格としては[[農耕神]]・[[祖先神]]と同一の起源を持つ神だと言われている。特に祖先神との深い繋がりが指摘されている。
 
日本では、古くから死んだ祖先の[[魂]]は山に住むと信じられてきたが、その信仰を背景として、屋敷近くの山林に祖先を祀る祭場を設けたのが起源だと考えられる。古くは一般的に[[神霊]]というものは一箇所に留まることはなく、特定に時期にのみ特定の場所に来臨して、祭りを受けた後、再び帰って行くものだと信じられてきた。そのため、山林に設けられた祭場は当初は[[祠]]などではなく、祭祀のときのみ[[古木]]や[[石|自然石]]を[[依代]]として祀ったものだったと考えられる。祠や社が建てられるようになるのは、神がその場に常在すると信じられるようになった後世の変化である。屋敷近くの山林に祀られていたのが、次第に屋敷の建物に近づいていって、現在広く見られるような敷地内に社を建てて祀るという形態になったと思われている。屋敷神が建物や土地を守護する神がと信じられるようになったのは、屋敷のすぐそばに建てられるようになったからだと考えられる。
屋敷神の起源は明確なことは分かっていない。しかし、後述するように、神格としては[[農耕神]]・[[祖先神]]と同一の起源を持つ神だと言われている。特に祖先神との深い繋がりが指摘されている。<br>
また、一族の祖霊という神格から屋敷神を祀るのは親族の中でも本家のみだったが、分家の台頭により、次第にどの家でも祀るようになっていったと考えられている。
日本では、古くから死んだ祖先の[[魂]]は山に住むと信じられてきたが、その信仰を背景として、屋敷近くの山林に祖先を祀る祭場を設けたのが起源だと考えられる。古くは一般的に[[神霊]]というものは一箇所に留まることはなく、特定に時期にのみ特定の場所に来臨して、祭りを受けた後、再び帰って行くものだと信じられてきた。そのため、山林に設けられた祭場は当初は[[祠]]などではなく、祭祀のときのみ[[古木]]や[[石|自然石]]を[[依代]]として祀ったものだったと考えられる。祠や社が建てられるようになるのは、神がその場に常在すると信じられるようになった後世の変化である。屋敷近くの山林に祀られていたのが、次第に屋敷の建物に近づいていって、現在広く見られるような敷地内に社を建てて祀るという形態になったと思われている。屋敷神が建物や土地を守護する神がと信じられるようになったのは、屋敷のすぐそばに建てられるようになったからだと考えられる。<br>
また、一族の祖霊という神格から屋敷神を祀るのは親族の中でも本家のみだったが、分家の台頭により、次第にどの家でも祀るようになっていったと考えられている。<br>
ところによっては、一家一族の守護神であった屋敷神が、神威の上昇により、一家一族の枠組みを超えて、[[氏神|地域の鎮守]]に昇格することもあった。
 
==類型==
[[直江廣治]]氏によると、'''各戸屋敷神'''・'''本家屋敷神'''・'''一門屋敷神'''の三つに分類することができる。
#各戸屋敷神・・・[[集落]]の全ての家が屋敷神を持ち、それぞれで祭祀を行なっている。
#各戸屋敷神
[[#本家屋敷神・・・集落]]全てうち、特定の[[旧]]のみが屋敷神を持っておりそれぞれで祭祀を行なっている。
#一門屋敷神・・・集落の家のうち、特定の旧家のみが屋敷神を持っており、旧家に一族が集まって祭祀している。
#本家屋敷神
集落の家のうち、特定の[[旧家]]のみが屋敷神を持っており、祭祀している。
#一門屋敷神
集落の家のうち、特定の旧家のみが屋敷神を持っており、旧家に一族が集まって祭祀している。
 
この3つの形態は集落構造の変遷に対応している。集落内の[[親族]]関係が密接で[[本家]][[分家]]体制が強固なところでは、一族がそろって本家に集まり祭祀をする「一門屋敷神」であるが、親族同士の関係が弱まり、希薄になると、本家に一族がそろって祭祀を行なうことはなくなり、「本家屋敷神」の状態となる。親族の制度的繋がりが消え、分家が台頭して独立した生活単位となると、分家においても屋敷神の祭祀を行なうようになり、「各戸屋敷神」の状態となる。このように屋敷神の形態と集落内の各戸の関係は対応しているといえる。
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==呼称==
屋敷神というのは、あくまで[[術語]]であり、実際の呼称は地域によってさまざまである。
<br>[[東北地方]]や[[鹿児島県]]では「ウチガミ」「ウジガミ」と呼ばれている。そのほか、「ウッガン」
「ジガミ」「ジヌシガミ」などとも呼ばれる。
 
==神格==
 
祭祀を行なう時期(春と秋)が[[農耕神]](田の神・山の神)と重なることから両者の関係が指摘されている。また屋敷神の祭祀は一族がそろって行なう地域が広く存在し、[[祖先神]]の性格があることも指摘されている。このことは屋敷神を「ウジガミ」と呼ぶ地域があることからもわかる。明確に祭神を祖先神だと認識した上で祀っているとしているところもあり、また農耕神も祖先神の性格を持っていることが指摘されており、屋敷神・農耕神・祖先神の三者は関わりがあることが分かっている。<br>
ただし、屋敷神を祖先神だとすることに関しては必ずしも当てはまるわけではない。特に[[都市]]部における屋敷神は、屋敷の居住者が変わっても祭祀を受け継ぐことも有り、一概には祖先神だとは言えない。<br>
 
とはいうもののおおむね屋敷神はそれぞれの家に関わりのある祖先神を起源にしていると考えられるのであって、特定の[[神社]]の[[祭神]]を祀るわけではなかったが、現在では有名神社の祭神を祀っているとしているところも多い。これはおそらく[[民間宗教者]]の関与によって、「[[稲荷神|稲荷]]」「[[伊勢神宮|神明]]」「[[八坂神社|祇園]]」「[[熊野三山|熊野]]」「[[白山神社|白山]]」「[[天満宮|天神]]」「[[八幡宮|八幡]]」「[[若宮]]」などの有名神社の分霊を祀っていることに変更されたと考えられる。中でも稲荷を屋敷神としているところは非常に多い。
 
==祭祀場所==
屋敷がある敷地の一角に祀られることが多く、その場合は屋敷の[[北西]]・[[北東]]に祀られることが多い。北西に祀られるのは日本において[[不吉]]だとされる[[方角]]だとされていたためである。[[農耕]]において北西の風は不吉なものとされるという。北東を[[鬼門]]として不吉な方角だとするのは、後世の[[陰陽道]]の影響であり、比較的新しい習俗である。<br>
屋敷のすぐそばには祀らず、少し離れた山林の中に祀られるところもある。これは既に述べたように本来、森林または山に対して祭祀を行なっていたことの名残であると考えられる。<br>
原則として屋敷神は屋外に祀られるものであるが、例外として屋内で祀っているところもあるという。これは山林で祀っていたものが屋敷に近づいていった結果、最終的に屋敷と融合したものだと思われる。
 
==祭祀施設と神体==
屋敷神の多くは石造か木造の小祠である。普通の神社のような社殿を持つことはまずない。丁寧に祭祀されている場合は[[末社]]程度の規模の社殿を建てられ、[[鳥居]]までも持つこともある。<br>
しかし、社殿を備えるようになったのは神の常在を信じるようになった後世の変化で、それ以前は祠もなく、祭場のみだった。樹木や自然石を依代としており、[[伊豆利島]]・[[熊野]]地方・[[壱岐]]などでは現在でも古態を留めている。<br>
[[藁]]の[[仮宮]]を祭りごとに[[遷宮|作り変える]]ところもある。これは祭りのときのみ神が降臨するものだという信仰の名残だと考えられている。普段は神はいないため社の必要はなかったのである。<br>
 
神体は既述のとおり、古木や石を用いたのが最も古い形態だと考えられる。鋭利な[[刃物]]の普及により[[削掛]]が加わり、[[紙]]の普及により、[[御幣]]も用いられるようになった。現在では、特に祭神を特定の神社の分霊とする場合は、各神社の発行する[[神札]]を祀っていることが多いだろう。
 
==祭祀時期==
[[春]]の[[2月_(旧暦)|旧暦2月]]と[[秋]]の[[10月_(旧暦)|旧暦10月]]もしくは[[11月_(旧暦)|旧暦11月]]の2回に祭祀される。もしくは省略されて秋に1回のみ祭祀するところもある。稲荷を祭神としているところでは稲荷の祭日である2月の初[[午]]の祭りが重視される。<br>
春秋に祀るのは山の神が稲作の開始とともに田に降りて[[農耕神|田の神]]となる春と稲作が終わり、田の神が山に帰っていく秋に対応しているからだと考えられ、既に述べたように屋敷神と農耕神は深い関わりがあると考えられている。<br>
 
 
 
==研究文献・論文==