「宇都宮空襲」の版間の差分

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明治期から昭和前期にかけて、[[宇都宮市|宇都宮]]には[[日露戦争]]後の軍需拡大によって編成された[[陸軍]][[第14師団 (日本軍)|第14師団]]司令部が常設され、その隷下の歩兵第27旅団司令部をはじめ歩兵第59連隊や野砲兵第20連隊、輜重兵第14連隊、騎兵第18連隊などが駐留、これに所属する10,000名を超える軍関係者が常時駐屯した。この軍関係者を顧客とする様々なサービス産業が活況を呈し、[[オリオン通り|バンバ]]を中心とする市街地が発展した。また一方で軍需産業の[[中島飛行機]]や関東工業などの誘致にも成功し、軍需に沸く宇都宮は軍都と呼ばれるようになった。
 
[[太平洋戦争]]の末期になると、日本本土の制空権を奪った米軍は、攻撃目標を日本軍施設や軍需工場として長距離爆撃機による空襲を開始、[[宇都宮師管区]]の管轄区域にあった[[北関東]]の諸都市([[太田市]]や[[大泉町]]など)の軍需工場も標的となり、その生産機能は徐々に奪われていった。また一方で、日本の中枢都市や西日本の軍都への空襲も展開し、[[1945年]]([[昭和]]20年)[[3月10日]]の[[東京大空襲]]に代表される大規模な空対地攻撃が行われた。それでも[[本土決戦]]の方針を崩さない日本軍に対し、米軍は日本国民の日常生活を奪ってその戦意を喪失させるべく、攻撃目標を徐々に中小都市の中心市街地にまで拡大した。この頃には日本近海の制海権もほぼ米軍が掌握するところとなり、日本本土のあらゆる都市が米軍[[航空母艦|空母]][[艦載機]]や占領された日本近海の離島から飛来する[[戦闘機]]による銃爆撃に曝され、軍都・宇都宮も同年7月以降、[[7月12日]]深夜の[[B-29 (爆撃機)|B-29重爆撃機]]による大空襲をはじめ、[[硫黄島 (東京都)|硫黄島]]からB-29の[[直掩機]]として飛来する[[アメリカ陸軍|米国陸軍]]戦闘機[[P-51 (航空機)|P-51]]等による急襲を受けることとなった。
 
== 主な空襲 ==