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'''金銀複本位制'''(きんぎんふくはんいせい)とは、[[金貨]]・[[銀貨]]両方を[[本位貨幣]]としてその鋳造と輸出入の自由を保持し、なおかつ固定化した[[金銀比価]]を保持する[[通貨制度]]のことである。
#REDIRECT [[銀本位制]]
 
ただし、金銀比価の固定は[[生産価格]]及び[[市場価格]]の存在を無視することとなり、法定された金銀比価と市場価格のバランスが崩れると、市場価格が有利な方の貨幣が退蔵される可能性が高かった。
 
[[中世]][[ヨーロッパ]]では、自国で安定した金貨もしくは銀貨の供給が不可能であったために、金銀複本位制を採用せざるを得ず、なおかつバランスが崩れるとその度に[[改鋳]]を行ってバランスを維持しなければならなかった。[[1816年]]に[[イギリス]]が[[金本位制]]への転換に成功すると、他のヨーロッパ諸国も金本位制に転換することとなった。
 
日本では、[[明治]]4年[[5月10日 (旧暦)|5月10日]]([[1871年]][[6月17日]])に制定された[[新貨条例]]によってヨーロッパに倣って金本位制を定めたが、[[清]]を中心とする周辺諸国はいずれも[[銀本位制]]を採っており、[[洋銀]]と同価値の[[1円銀貨]]の発行を余儀なくされた。だが、金貨の国外への流通が激しく、明治8年([[1875年]])には新しく[[アメリカ]]の貿易ドル銀貨と同等の[[貿易銀]]を発行し、翌年には[[開港場]]で行われていた銀貨100円に対して金貨101円の金銀比価を両者同等に改めて実質上の金銀複本位制となった。更に明治11年([[1878年]])[[5月27日]]には[[大蔵卿]][[大隈重信]]の建議を受けて正式に金銀複本位制を採用して、これまで開港場のみで通用を許していた1円銀貨及び貿易銀を日本国内でも[[強制通用力]]のある貨幣として扱い、その無制限使用を許した。これによって銀貨も事実上の本位貨幣となった。
 
だが、[[西南戦争]]に伴う[[不換紙幣]]増発によって生じた[[インフレーション]]で金貨・銀貨ともに国外への流出や退蔵が深刻化して、本位貨幣としては名目上の存在となってしまった。これを憂慮した大蔵卿[[松方正義]]は、一時的な銀本位制導入による通貨安定を模索し、明治18年([[1885年]])に銀本位制に基づく[[兌換紙幣]]である[[日本銀行券]]を発行して、日本は一時的に銀本位制となり、その後明治30年([[1897年]])の[[貨幣法]]によって金本位制への復帰を果たすことになった。
 
== 参考文献 ==
*岡田和喜「金銀複本位制」(『国史大辞典 4』(吉川弘文館、1984年) ISBN 4-642-00504-8)
 
== 関連項目 ==
*[[円 (通貨)|円]]
 
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[[Category:経済史]]
[[Category:日本の貿易の歴史]]
[[Category:銀]]
[[Category:金]]