「片岡仁左衛門 (12代目)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Ajcxx (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
ととりん (会話 | 投稿記録)
+template:先代次代2
1行目:
12十二代目'''片岡 仁左衛門'''(12(じゅうにだいめ かたおか にざえもん、[[1882年]](明治15年)[[9月9日]] - [[1946年]](昭和21年)[[3月15日]])は、日本の[[歌舞伎役者]]。[[片岡仁左衛門 (8代目)|8代目片岡仁左衛門]]の娘の子で、[[片岡仁左衛門 (10代目)|10代目片岡仁左衛門]]の養子である。[[東京都]]出身。
 
[[大正]]から[[昭和]]にかけて活躍した。豪胆な芸風で知られた。[[片岡仁左衛門 (15代目)|現・仁左衛門]]がよく演じる「義賢最後」は12十二代目によって復活されている。昭和10年代に、[[女形]]が不足していた東京の歌舞伎界に招かれ十五代目[[市村羽左衛門 (15代目)|市村羽左衛門]]の相手役を勤めたが、理知的なイメージが強く余り高い評価を得られなかった。当り役は「朝顔日記」の深雪、「琴責」の阿古屋など。子に十三代目[[片岡我童 (13代目)|片岡我童]](14(十四代目片岡仁左衛門)、六代目[[片岡芦燕 (6代目)|6代目片岡芦燕]]、二代目[[市村吉五郎 (2代目)|2代目市村吉五郎]]がいる。
 
1946年(昭和21年)、住み込みの座付き作者の男(当時22歳)に妻・三男・女中2人とともに殺された。この男に1日2食しか与えていなかったことと、仁左衛門が男を罵倒したことが犯行のきっかけになったといわれる。男は15日後に[[逮捕]]され、裁判で[[無期懲役]]の判決が下された(本来は[[死刑]]だが、精神鑑定により心神耗弱状態だったと認定されたため)。
 
==外部リンク==
*[http://yabusaka.moo.jp/kataokaikka.htm 片岡仁左衛門一家殺人事件]
 
{{先代次代2
|タイトル = [[片岡仁左衛門]]
|背景色 = #839b5c
|先代名 = [[片岡仁左衛門 (11代目)|十一代目片岡仁左衛門]]
|現代名 = 十二代目
|次代名 = [[片岡仁左衛門 (13代目)|十三目片岡仁左衛門]]
}}
 
{{DEFAULTSORT:かたおか にさえもん12}}