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'''盲学校'''(もうがっこう)とは、[[視覚障害児]]、もしくは[[弱視]]児のための[[学校]]のことである。
 
自分の安全を図るための手段とその工夫を学びつつ、[[点字]]などを中心に[[幼稚園]]、[[小学校]]、[[中学校]]、[[高等学校]]に準じた[[教育]]を受ける行う
 
日本では、2007年施行の[[学校教育法]]改正により、聾学校・養護学校とともに[[特別支援学校]]の一部門となり、「'''視覚特別支援学校'''」の名称で呼ばれる学校もある。
 
==盲学校の歴史==
世界最初の盲学校は、[[1784年]][[アユイ]]らによって、フランスのパリに作られたものとされている。この盲学校は[[フランス革命]]直後の[[1791年]]に王立パリ盲学校となり、王政廃止後は国立パリ盲学校となった。
 
日本では、[[1878年]]5月24日に創立された[[京都盲唖院]]が最初の近代的な視覚障害教育及び聴覚障害教育の機関とされている。その前史として、[[古河太四郎]]らによる京都市の待賢小学校における瘖唖教場があった。1876年には東京で楽善会訓盲唖院が創立されているが、実際に開校したのは1831年であった。楽善会訓盲唖院は、後に官立東京盲学校・東京教育大学教育学部附属盲学校を経て、現在は[[筑波大学附属視覚特別支援学校]]になっている。京都盲唖院は、明治期に京都府立から京都市立(盲唖院、のち盲学校と聾学校に分離)に移管し、1931年に[[京都府立盲学校]]となって現在に至っている。
 
==盲学校の普通科教育==
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==盲学校の職業教育==
 
日本では数百年の永きに亙って、盲人の職業として、[[]][[按摩]]が受け継がれてきた。鍼・按摩は、学問といよりも職人的な技芸であるため、戦前は徒弟制度によって術者が養成されていた。
 
しかし戦後、「[[あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師・柔道整復師等にする法律]](あはき法)が施行され、はり師、マッサージ師として就業するためには、2年<ref>現在は3年</ref>の専門教育と国家試験が課せられるようになったため、これに対応する形で、職業課程の「理療科」が設置された。
 
理療科は、高卒後3年で、[[鍼灸師]]・マッサージ師の国家試験受験資格を得る専攻科理療科と、あん摩マッサージ指圧師だけの受験資格を得る保健理療科がある。
 
理療科という名前は、薬物や外科手術でない、物理的な刺激療法という意味であるが、盲学校だけのことばで、また、理学療法士<ref>いわゆるリハビリテーションの技術者</ref>と紛らわしいため、言い換えを求める意見が多い。
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==盲学校と寄宿舎==
日本において、盲学校が普通学校と一番違うところは、大半の盲学校<ref>横浜市立盲学校、神戸市立盲学校を除く。</ref>に[[寄宿舎]]が併設されていることである。盲学校は1都道府県に1,2カ所と少ない場合がほとんどで自宅からの通学が困難な児童生徒が多く、また視覚障害者が十分に訓練を受けないと、[[電車]]や[[バス_(交通機関)|バス]]を乗り継いで通学するのが困難なことによる。盲学校の新入児童生徒には、[[衣服]]の着脱、[[歯磨き]]や[[入浴]]など、日常の所作が十分にできない者も多く、そうしたことを教えるのは寄宿舎の寄宿舎指導員の仕事になっている。
 
== 校名の変更 ==
日本で改正学校教育法が施行された2007年4月に「特別支援学校」と校名を変更した盲学校・聾学校・養護学校は、既存の学校で916校中182校、2007年度に新設された学校で11校中3校にとどまっている。<ref>「学校教育法等の一部を改正する法律を踏まえた盲・聾・養護学校の校名変更状況調査」文部科学省</ref><br>
なお、”校名変更反対”の動きは[[聾学校#改名問題|聾学校]]ほど見られない。