「プリンキパトゥス」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
{{DEFAULTSORT:ふりんきはとうす}}
11行目:
オクタウィアヌスは、[[紀元前27年]]に元老院より「[[アウグストゥス (称号)|アウグストゥス(尊厳者)]]」の称号を受け、古代ローマ最初の「皇帝」になったとされる。だがそれは後世の認識であり、アウグストゥスは建前上は君主の地位に就いた訳ではなく、共和政の守護者として振る舞った。このような、実質上は皇帝の地位に就いたものの、建前としては古代ローマの伝統を墨守し共和政の体裁を守ったこの体制を、後世になってプリンキパトゥスと呼ぶ。
 
アウグストゥスは共和政時代から存在した[[プリンケプス]]という「第一人者」の意を持つ地位にり、った。は暗殺されないために最高権力、地位は者を連想させる振る舞いを極力避けた。そんな彼にとって直接の職権を伴わないこのプリンケプスによって代」という名誉称号は向きとしては格好の隠蓑となった。したがってアウグストゥスや同様の構成をとった後継の皇帝たちの統治体制は「プリンケプスによる統治」、すなわちプリンキパトゥスと呼ばれている。
 
アウグストゥスの統治はあくまで共和政の継続という外面を持っており、その権力も独裁官という非常時大権ではない、共和制平時のさまざまな権限を一身に帯びるという形で構成されている。1つ1つは完璧に合法でありながら、それらを束ねると共和制とはひどく異質な最高権力者の地位となる。こうした地位についてアウグストゥスは「私は権威において万人に勝ろうと、権力の点では同僚であった政務官よりすぐれた何かを持つことはない」と自身で表向きの説明をしている。プリンケプスの地位を構成したうち、主要なものは[[執政官]]の権限、上級の[[プロコンスル|プロコンスル(属州総督)]]権限、[[護民官|トリブヌス・プレビス(護民官)]]職権の3つで、プリンケプスの権力は基本的にはこの3つから説明される。これら3つの権限はアウグストゥスがローマを合法的に統治する根拠であると同時に、執政官権限、上級属州総督権限の2つは合わせると実質全[[ローマ軍]]の統帥権を意味し、アウグストゥスが軍事力を掌握する根拠でもあった。以上の行政権、軍事力のほかにアウグストゥス自身が述べるように圧倒的な「権威」が重要な要素であった。アウグストゥスは[[最高神祇官|ポンティフェクス・マクシムス(最高神祇官)]]という神職にも就任しており宗教上の最大権威者となってもいたが、それ以上に「内乱の最終的な勝者」という軍事的実績を伴った権威は正面からの体制への挑戦者を寄せ付けなかった。