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'''同盟市戦争'''(どうめいしせんそう)とは、[[紀元前91年]]末に、都市国家[[共和政ローマ|ローマ]]と同盟を結んでいた[[イタリア半島|イタリア]]各地の都市国家や部族が、[[ローマ市民権]]を求めローマに対し蜂起した[[戦争]]の事である。
ローマはイタリア半島の他の都市国家、部族に対して同盟関係を用いることで支配を確立してい
イタリア半島の諸勢力はローマとの同盟のみが認められ、諸勢力同士の同盟は禁じられることでローマを中心とした放射線状の同盟関係によって結合していた。あくまで同盟は軍事的なものであり、兵力の提供以外に貢納などの義務は全く無かった。同盟下の各勢力はローマの影響を受けるものの各勢力ごとのレベルでの政治的な自治権を保障されていた。また対外戦争においても指揮はローマが執ると定めて指揮系統を統一する代償に、ローマの貴族は納税によって戦費を負担し、ローマ市民の軍は犠牲の多い中核部隊を担い、他の同盟諸都市の軍よりも困難な任務を率先して引き受けた(一種の[[ノブレス・オブリージュ]])。こうしてローマは盟主と仰ぐに足る存在であることを文字通り身体を張って、血を流してまで証明し続けた。
それゆえにこうした同盟関係(ローマ連合)は、ローマが盟主として行なった同盟外との戦争などを通じて強化されていった。[[第二次ポエニ戦争]]においてイタリアを襲った[[ハンニバル]]は同盟間の離反を最優先の戦略目標としてその実現に努めたが、彼の予想を裏切り一体となった同盟は数少ない例外を除いて崩れず、その結束の強さが勝利の要因となった。
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事態が変化するのは、ローマが軍制改革を行って以降である。詳細は「[[マリウスの軍制改革]]」を見て欲しいが、かいつまんで述べれば徴兵制から志願制となり、ローマ市民においては貴族のみが利益を得るシステムは解消され、平民に対して自作農については兵役免除、無産者については軍隊に吸収し給与を払う形で、救済がなされた。しかしながら国内自治、内政不干渉の名の下でこの改革の適用はローマ市民に限られ、同盟諸都市の市民は置き去りにされてしまったのである。またローマ市民の軍が犠牲の多い中核部隊を担う事も無くなった。
このような状況の中で他の都市に住むローマ市民権を持たない人々の間に、ローマ市民権を要求する機運が高まっていた。ローマ市民権が旨味を増していった時期になって、これを出し惜しみするようになってきたのである。
この要求をローマが拒絶した為に、比較的に貧しい地域に住む人々を中心にローマに対し叛旗を翻したのがこの戦いである。
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