「ジョージ・バーナード・ショー」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
|||
5行目:
{{thumbnail:end}}
{{文学}}
'''ジョージ・バーナード・ショー'''('''George Bernard Shaw'''
進取の精神で知られ、女性の社会進出や新思想など、新しく世の中に出てくる考え方に対して、ほぼ生涯を通じて賛成している。反面、当初は景気浮揚や社会政策で快進撃を見せた[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]や[[ファシズム]]に賛同した弊害もある。[[第
あまり知られていない事実であるが、[[アレクサンダー・テクニーク]]創始者の[[フレデリック・マサイアス・アレクサンダー]]の有力な支持者であった。
== 略歴 ==
*1856年 [[ダブリン]]に生まれる。
*1876年 [[アルコール依存症]]で家族を養う能力に欠けた夫に見切りをつけて、ショーの母は、すでに娘達と共に[[ロンドン]]に出て、音楽教師として生計をたてていた。この年、ショーは母を追ってロンドンに出て行く。
*1876年 この頃から、母と親しかった音楽評論家の評論の[[ゴースト・ライター]]を
*1883年 最初の小説を書き終えるが、小説家としてはあまり世に認められない。
*1884年 [[ファビアン協会]]に入会する。創設者のウェブ夫妻とは家族のように親しくつきあう。
*1888年 コルノ・ディ・バセットという[[ペン
*1892年 「やもめの家」で劇作家としてデビュー。
*1895年 『土曜評論』に劇評を書き始める。
*1898年 シャーロット・ペイン・タウンゼンドと結婚する。彼女は機知に富み、ファビアン協会の活動にも熱心であった。しかし、[[社会主義]]者でありながらも
*1914年 [[ウェスト・エンド]]で初めて興行的な成功を収める。
*1925年 [[ノーベル文学賞]]を受賞。
*1943年 妻シャーロットの死。
*1950年 妻の死以来、生きる気力をなくしつつあった。ロンドンの北にあるエイオット・セント・ロレンスで94歳で死去した。
33行目:
:[[ガブリエル・パスカル]]によって1938年に映画化され、ショーは[[アカデミー脚色賞]]を受賞した。また、[[アラン・J・ラーナー]]によってミュージカル化され、『[[マイ・フェア・レディ]]』としてブロードウェーで大ヒットしたことは良く知られている。原作、ミュージカル共に、現在も世界各地で上演されている。
*『聖女ジョウン』(''Saint Joan''
:
===主な戯曲===
(年号はいずれも執筆をはじめた年)
*1892年 『やもめの家』
*1893年 『[[ウォレン夫人の職業]]』
*1894年 『武器と人』
*1895年 『キャンディダ』
*1895年 『運命の人』
*1897年 『分からぬものですよ』
*1897年 『悪魔の弟子』
*1898年 『シーザーとクレオパトラ』
*1899年 『ブラスバウンド船長の改宗』
*1903年 『人と超人』
*1905年 『バーバラ少佐』
*1911年 『ファニーの初めての劇』(''Fanny's First Play''
*1912年 『アンドロクリーズとライオン』
*1913年 『[[ピグマリオン (戯曲)|ピグマリオン]]』(''Pygmalion''
*1916年 『傷心の家』
*1918年 『メトセラへ還れ』(''Back to Methuselah'' )
*1923年 『聖女ジョウン』
*1938年 『ジュネーヴ』
==主な評論==
*1891年 『[[ヘンリック・イプセン|イプセン]]主義の真髄』
*1898年 『完全な[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]主義者』
*1928年 『知的女性のための社会主義と資本主義の手引き』
==ショーの様々な顔==
===社会主義者===
[[フェビアン協会]]に属する[[社会主義]]者であり、社会主義運動に深く関わる。文学者の枠を超えた
===ベジタリアン===
70行目:
===劇評家===
ショーは1895年以降に多くの劇評を書いたが、特に有名なのが[[ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピア]]の劇についての評論である。当時はシェイクスピアを偶像化するような風潮があり、ショーはこれを''Bardolatry''と呼んで揶揄した。また、アクター・マネージャーによる上演が主流であったため、作品の大胆な改変がしばしば行われていたが、これも激しく非難した。一見矛盾するかに見える
ショーのコメントは毒舌と言われることもあり、しばしば誤解されているが、彼がシェイクスピアにいかに精通しているかを知れば、それが単なる毒舌ではないことは分かるはずである。ショーはシェイクスピアを超えるような劇を書きたいとも熱望していた。『シーザーとクレオパトラ』は、『ジュリアス・シーザー』に対抗して書いたものだが、『ピグマリオン』は『[[じゃじゃ馬ならし]]』に対抗したものではないかという説もある。また短編戯曲『[[ソネット]]の黒婦人』、人形劇『シェイクス対シェブ』などもある。 ==関連項目==
*[[花登筺]](
* [[ghoti]]
==外部リンク==
*[http://www.wakayama-nct.ac.jp/gakka/ippan/ippan-staff/morikawa/GBS_Japan/GBSindex.htm 日本バーナード・ショー協会]
*[[プロジェクト・グーテンベルク]]におけるバーナード・ショーの作品[http://www.gutenberg.org/browse/authors/s#a467]
*[http://sekihi.net/writer/771/proverb_abc/1.htm バーナード・ショーの名言] ショーは機知に富んだ
==参考文献==
* 日本バーナード・ショー協会編 『バーナード・ショーへのいざない ''Welcome to the Shavian World''』 生誕150周年記念出版 文化書房博文社 ISBN 4830110910
{{ノーベル文学賞受賞者 (1901年-1925年)}}
95 ⟶ 97行目:
[[Category:1856年生]]
[[Category:1950年没]]
[[Category:ジョージ・バーナード・ショー|*]]
[[ar:جورج برنارد شو]]
|