「ジョージ・バーナード・ショー」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
5行目:
{{thumbnail:end}}
{{文学}}
'''ジョージ・バーナード・ショー'''('''George Bernard Shaw''', [[1856年]][[7月26日]] - [[1950年]][[11月2日]])は、イギリスにおいて主に19世紀に活躍した[[アイルランド]]出身の[[劇作家]]、劇評家、[[音楽評論家]]、[[社会主義|社会主義者]]。[[イギリス]]近代演劇の確立者として有名である。ショーが劇作家としての才能を認められるようになったのは40代であるが、精力的に作品を書き続け、94歳で亡くなるまでに53本もの[[戯曲]]を残した。[[カナダ]][[ナイアガラ・オン・ザ・レイク]]では、毎年数ヶ月にわたって、ショーとその同時代の劇作家の作品を上演するショー・フェスティバルが開催され、世界各国から人々が集まっている。
 
進取の精神で知られ、女性の社会進出や新思想など、新しく世の中に出てくる考え方に対して、ほぼ生涯を通じて賛成している。反面、当初は景気浮揚や社会政策で快進撃を見せた[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]や[[ファシズム]]に賛同した弊害もある。[[第2世界大戦]]後に軽佻浮薄との痛烈な批判を浴びることになった。
 
あまり知られていない事実であるが、[[アレクサンダー・テクニーク]]創始者の[[フレデリック・マサイアス・アレクサンダー]]の有力な支持者であった。
 
ショーの残した名言:あなたが一番影響を受けた本は何ですかという質問に対して『銀行の預金通帳だよ』と答えた。
 
== 略歴 ==
*1856年 [[ダブリン]]に生まれる。
*1876年 [[アルコール依存症]]で家族を養う能力に欠けた夫に見切りをつけて、ショーの母は、すでに娘達と共に[[ロンドン]]に出て、音楽教師として生計をたてていた。この年、ショーは母を追ってロンドンに出て行く。
*1876年 この頃から、母と親しかった音楽評論家の評論の[[ゴースト・ライター]]はじめる。
*1883年 最初の小説を書き終えるが、小説家としてはあまり世に認められない。
*1884年 [[ファビアン協会]]に入会する。創設者のウェブ夫妻とは家族のように親しくつきあう。
*1888年 コルノ・ディ・バセットという[[ペンネーム]]で音楽評論を書き始める。
*1892年 「やもめの家」で劇作家としてデビュー。
*1895年 『土曜評論』に劇評を書き始める。
*1898年 シャーロット・ペイン・タウンゼンドと結婚する。彼女は機知に富み、ファビアン協会の活動にも熱心であった。しかし、[[社会主義]]者でありながらも富裕な家柄であったので、豪華客船で新婚旅行にかけることになった。
*1914年 [[ウェスト・エンド]]で初めて興行的な成功を収める。
*1925年 [[ノーベル文学賞]]を受賞。はじめは固辞していたが、賞金を寄付するという条件で受賞することになる。
*1943年 妻シャーロットの死。
*1950年 妻の死以来、生きる気力をなくしつつあった。ロンドンの北にあるエイオット・セント・ロレンスで94歳で死去した。
33行目:
:[[ガブリエル・パスカル]]によって1938年に映画化され、ショーは[[アカデミー脚色賞]]を受賞した。また、[[アラン・J・ラーナー]]によってミュージカル化され、『[[マイ・フェア・レディ]]』としてブロードウェーで大ヒットしたことは良く知られている。原作、ミュージカル共に、現在も世界各地で上演されている。
 
*『聖女ジョウン』(''Saint Joan'')(1923)(1923年初演)
:れまで悲劇のヒロインとして描かれてきた[[ジャンヌ・ダルク]]を、社会と葛藤する一人の人間として描き、1925年にノーベル文学賞を受賞した。
 
===主な戯曲===
(年号はいずれも執筆をはじめた年)
*1892年 『やもめの家』 (''Widowers' Houses'' ) ショーの処女戯曲
*1893年 『[[ウォレン夫人の職業]]』(''Mrs Warren's Profession'' ) 売春と結婚制度について論じ、劇場検閲制度によって上演禁止になった。日本語訳有り
*1894年 『武器と人』(''Arms and the Man'')
*1895年 『キャンディダ』(''Candida'' ) [[ヘンリック・イプセン|イプセン]]の『[[人形の家]]』に触発されて書いた作品。日本語訳有り
*1895年 『運命の人』(''The Man of Destiny'' ) [[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]を登場させた喜劇
*1897年 『分からぬものですよ』(''You Never Can Tell'')
*1897年 『悪魔の弟子』(''The Devil's Disciple''、邦 ) 日本語訳有り)
*1898年 『シーザーとクレオパトラ』(''Caesar and Cleopatra'' ) [[ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピア]]の『[[ジュリアス・シーザー]]』に対抗して書いた作品日本語訳有り。。[[ヴィヴィアン・リー]]主演で映画化された。邦訳有り。シナリオ際、脚本共同執筆している。ただし共同)
*1899年 『ブラスバウンド船長の改宗』(''Captain Brassbound’sBrassbound's Conversion''
*1903年 『人と超人』 (''Man and superman'' ) [[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]の『[[ドン・ジョヴァンニ]]』をモチーフにして書いた作品。日本語訳有り
*1905年 『バーバラ少佐』 (''Major Barbara'' ) 人気上演作品の一つであり、映画化もされた。日本語訳有り
*1911年 『ファニーの初めての劇』(''Fanny's First Play'' ) 匿名で発表したが、ショーが大衆に受け入れられるようになった作品
*1912年 『アンドロクリーズとライオン』 (''Androcles and the Lion'')
*1913年 『[[ピグマリオン (戯曲)|ピグマリオン]]』(''Pygmalion'' ) ショーが劇作家として世に認められるようになった作品。日本語訳有り
*1916年 『傷心の家』 (''Heartbreak House''、邦 ) 日本語訳有り)
*1918年 『メトセラへ還れ』(''Back to Methuselah''
*1923年 『聖女ジョウン』(または『聖女ジャンヌ・ダルク』) (''Saint Joan'') 映画化作品。日本語訳有り)
*1938年 『ジュネーヴ』 (''Geneva'')
 
==主な評論==
*1891年 『[[ヘンリック・イプセン|イプセン]]主義の真髄』(''The Quintessence of Ibsenism'')
*1898年 『完全な[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]主義者』 (''The Perfect Wagnerite''、邦 ) 日本語訳有り)
*1928年 『知的女性のための社会主義と資本主義の手引き』 (''The Intelligent Women's Guide to Socialism and Capitalism'')
 
==ショーの様々な顔==
===社会主義者===
[[フェビアン協会]]に属する[[社会主義]]者であり、社会主義運動に深く関わる。文学者の枠を超えた反骨の知識人として積極的に発言(皮肉な警世家としても知られる)長い生涯にわたって尊敬を集める。しかし、[[1930年代]]に[[大恐慌]]を受け[[資本主義]]国が軒並み不況に苦しむ中、[[ソビエト連邦]]はその影響を受けずに高い経済成長を達成したことを知り、「失業も階級もない理想の国家」と評したが、実はその経済成長は政治犯や思想犯を中心とした強制労働に支えられ、その富は共産党の上層部に集中して配分されていたことがその後明らかになり大きな非難を受けた。
 
===ベジタリアン===
70行目:
 
===劇評家===
ショーは1895年以降に多くの劇評を書いたが、特に有名なのが[[ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピア]]の劇についての評論である。当時はシェイクスピアを偶像化するような風潮があり、ショーはこれを''Bardolatry''と呼んで揶揄した。また、アクター・マネージャーによる上演が主流であったため、作品の大胆な改変がしばしば行われていたが、これも激しく非難した。一見矛盾するかに見える2つの行動だが、どちらもシェイクスピアを熟読し、心から愛するゆえのことであった。

ショーのコメントは毒舌と言われることもあり、しばしば誤解されているが、彼がシェイクスピアにいかに精通しているかを知れば、それが単なる毒舌ではないことは分かるはずである。ショーはシェイクスピアを超えるような劇を書きたいとも熱望していた。『シーザーとクレオパトラ』は、『ジュリアス・シーザー』に対抗して書いたものだが、『ピグマリオン』は『[[じゃじゃ馬ならし]]』に対抗したものではないかという説もある。また短編戯曲『[[ソネット]]の黒婦人』、人形劇『シェイクス対シェブ』などもある。
 
==関連項目==
*[[花登筺]](同氏の芸名=ペンネームはバーナード・ショーからもじって採用したという)
* [[ghoti]]: - [fish]のこと。[[英語]]の[[スペリング]]の不規則さを揶揄して、ショーが考案した。
 
==外部リンク==
*[http://www.wakayama-nct.ac.jp/gakka/ippan/ippan-staff/morikawa/GBS_Japan/GBSindex.htm 日本バーナード・ショー協会] (1971(1971年設立)
*[[プロジェクト・グーテンベルク]]におけるバーナード・ショーの作品[http://www.gutenberg.org/browse/authors/s#a467]
*[http://sekihi.net/writer/771/proverb_abc/1.htm バーナード・ショーの名言] ショーは機知に富んだ名言、警句の名手であった。
 
==参考文献==
* 日本バーナード・ショー協会編 『バーナード・ショーへのいざない ''Welcome to the Shavian World''』 生誕150周年記念出版 文化書房博文社 ISBN 4830110910
 
{{ノーベル文学賞受賞者 (1901年-1925年)}}
95 ⟶ 97行目:
[[Category:1856年生]]
[[Category:1950年没]]
[[Category:ジョージ・バーナード・ショー|*]]
 
[[ar:جورج برنارد شو]]