「羅振玉」の版間の差分

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[[浙江省]]上虞出身。[[1891年]]、[[劉鶚]]と知り合い、劉鶚の持つ[[亀甲獣骨文字]]の拓本を目にする機会を得る。羅振玉はそのあとを継いで甲骨文字の研究に打ち込み、『殷墟書契考釈』を発表した。そのため[[王国維]]・[[董作賓]]・[[郭沫若]]とともに「甲骨四堂」と称される。
 
甲骨文字研究以外では[[敦煌学]]の分野にも大きな役割を果たしている。[[1909年]]、敦煌文書を獲得した[[ポール・ペリオ]]と会い、まだ残されているものがあると知ると、[[敦煌市|敦煌]]から残りのものを北京に運ばせて、京師図書館に収蔵させた。
 
その他に[[1896年]]に[[上海市|上海]]に東文学社を設立し、日本語を翻訳できる人材を育成し、[[沈肱]]・[[樊少泉]]・[[王国維]]らを輩出した。