「ゲオルク・アンドレアス・ガプラー」の版間の差分

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'''ゲオルク・アンドレアス・ガプラー'''('''Georg Andreas Gabler''', [[1786年]][[7月30日]] - [[1853年]][[9月13日]])は、[[ドイツ]]の[[哲学者]]。[[ヘーゲル右派]]の人物として知られている。イェナ大学で当時教鞭をとっていた[[ヘーゲル]]に師事する。同時代の詩人・[[シラー]]の子供の家庭教師、ギムナジウムの校長(この時の勤務していたイムホーフ高校の生徒に後に[[ヘーゲル左派]]のメンバー・[[マックス・シュティルナー]]がいた)を経て、ヘーゲルの『精神現象学』の解説書「哲学的予備学教程」を執筆。1835年にヘーゲルの後任として、ベルリン大学教授として迎えられた。[[ダーヴィト・シュトラウス]]ら左派に対抗して、ヘーゲル哲学とキリスト教との一致を主張。ヘーゲル哲学を擁護し、左派のメンバーを批判した。