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Kokada jnet (会話 | 投稿記録)
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本名 木原ひろみ。
 
*父は売れない絵描きで引越し魔であり、常に昼間でも自宅にいることが多かった。小学生の幼いから、群と弟に花札を教え込み、小遣いを巻き上げるような人物で一面もあったというそのめ、家計は母がになっており、夫婦仲が悪かった。そため、群は学校の図書室引越し魔もあり時間ぎりぎりま風呂を薪本を読む沸かすよう家から文学少女と洋風の広いリビングのある家まで、様々った。両親は、群が20歳の時離婚した移り住んだ
*そのため家計は母が担っていた。夫婦仲は悪く、群は家に帰りたくなくて学校の図書室で時間ぎりぎりまで本を読むようになったという。(両親は群が20歳の時に離婚した)
 
*[[日本大学藝術学部]]文芸学科卒業。文芸学科の1年先輩に[[林真理子]]がいたが、当時は互いに面識がなかった。なお、のちに群がエッセイストとしてデビューする際、「先輩」的存在として既に林がデビューしていたこと心強かったという。
 
*20歳の時には、「アメリカに行けば何かがある」と、アルバイトで貯めめがお金でアメリカに滞在旅行する。しかたが、特に劇的なことは起きなかった。また大学4年の時に「同級生の男がテレビに出る」と連絡があり、楽しみに見ていたら、その男は連続暴行犯であった。
 
*大学卒業後、6度は広告代理店に勤めるも半年で退職。その後転々と職を変えた後(音楽雑誌の編集をしていたこともある)[[椎名誠]]や[[目黒考二]]の[[本の雑誌社]]に事務職として入社。社員は群一人で、[[椎名誠]][[目黒考二]]はたまにしか事務所に顔を出さず、たまにかかってくる電話注文に応対するのが彼女の仕事であった。やがて知人の勧めもあり、本名で『[[本の雑誌]]』にコラム(書評)を書き始め、文才を目黒に認められる。
 
*[[1984年]]7月、在社中に単行本『午前零時の玄米パン』(本の雑誌社刊) を発表し、本格的に作家としてデビュー。
**ペンネームの「群」は、本の雑誌社社長(当時)[[目黒考二]]氏の使用していたペンネーム「群一郎」をのれんわけして譲り受けたもの。(「ようこ」は目黒氏の初恋の女性の名前)
 
*同年12月に本の雑誌社を退職し、以後多くの[[エッセイ]](読書エッセイが多い)・[[小説]]・[[評伝]]・[[対談]]等を発表、現在に至る。
**なお、1994年に新潮文庫から刊行した『亜細亜ふむふむ紀行』以降、海外旅行が好きになり、『またたび東方見聞録』(1996)、『雀の猫まくら』(1998/ [[ハワイ]]旅行記)、『東洋ごろごろ膝栗毛』(1997)と、旅行記ものを続けて刊行した。
 
なお、1994年に新潮文庫から刊行した『亜細亜ふむふむ紀行』以降、海外旅行が好きになり、『またたび東方見聞録』(1996)、『雀の猫まくら』(1998 [[ハワイ]]旅行記)、『東洋ごろごろ膝栗毛』(1997)と、旅行記ものを続けて刊行した。
女性に人気がある。独身である。