「フリードリッヒ・オットー・ショット」の版間の差分

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'''フリードリッヒ・オットー・ショット(Friedrich '''('''Friedrich Otto Schott)(1851 Schott''', [[1851]][[12月17日]] 現[[ノルトライン=ヴェストファーレン州]][[ヴィテン生-1935]] [[:de:Witten|Witten]] - [[1935]][[8月27日]] [[ェー]])は、[[光学硝子]]を主とする[[硝子]]学(応用無機材料)者及び1884年で、[[ショット硝子工場]]([[1884年]]創設)の創設者。

[[プロイセン]]のヴィテン、1853年[[ウェストファリア]]の窓硝子工場の共同経営者であった父の薫陶を受け、1870年から1873年にかけて、[[アーヘン]]で化学を、[[ルツブル大学]]で応用化学を、更に[[ライプチッヒ大学]]で学び、1875年「窓ガラス製造法の欠陥」を博士論文として博士号を取得。

2年後、スペインの[[ヴィエド]]に応用無機材料の工場を創設。1879年に[[エルンスト・アッベ]][リチウム]素材の光学硝子のサンプルを納品。1884年にイエナに[[カール・ツイス]]会社の共同経営に参画し、協働会社として「ショット協働硝子工場(Schott(英語:''Schott and Asciciates Glass Technology Laboratory)Laboratory'')」創業する。

1886年非分散光学硝子を開発。アポクロマートレンズをアッベの依頼により開発。1887年から1893年に亘る時代に硼酸珪素硝子を開発。耐熱・耐化学特性を有する光学硝子を製造。「イエナ硝子(Jena Glas)(''Jena Glas'')」として、実験用硝子製品、物理用・温度計用各種硝子製品にその名声を不動のものとする。

1919年自分のショット企業の全持株をカール・ツイス財団に移す。カール・ツイス財団は、ここにツイス・グループとショット・グループという財団の二本柱が完成する。蛍石工学硝子をも開発し販売。現代の科学的な応用無機材料化学の創設者である。
 
蛍石工学硝子をも開発し販売。現代の科学的な応用無機材料化学の創設者である。
 
[[Category:ドイツ人|しょっと]]
 
[[de:Otto Schott]]
[[en:Friedrich Otto Schott]]