「岡本太郎記念館」の版間の差分

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==概要==
同地にあった旧居は[[戦災]]で焼失したが、[[ル・コルビュジェ]]の[[弟子]]であった岡本の友人の[[坂倉準三]]の設計により建てられた。岡本の要望により、積み上げた[[ブロック]]の[[壁]]の上に[[凸レンズ]]形の[[屋根]]の乗った独自の形象をしており、壁には岡本の描く[[顔]]と「'''TARO'''」の赤い[[サイン]]が入っている。岡本はこのアトリエに50年近くも生活した。[[1970年]]の[[万国博]]の[[太陽の塔]]の構想もこの場所で行われた。
 
戦前の旧居には岡本は[[両親]]である[[岡本一平|一平]]、[[岡本かの子|かの子]]と共に長く暮らしていた。