「扇ヶ谷」の版間の差分

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Masanori88 (会話 | 投稿記録)
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== 地誌 ==
[[JR|横須賀線]]・[[江ノ電|江ノ島電鉄]]鎌倉駅より横須賀線線路に沿って北東方向の山際一帯の地名である。東を雪ノ下、西を佐助、南を御成町・小町、北を山ノ内と接し、飯盛山、源氏山などの丘陵が周辺を囲み、中心部谷戸にある亀ヶ谷坂を経て北鎌倉方面とつながる。地域内を扇川と呼ばれる小さな小川が横須賀線に沿って流れる。地名の由来は扇ガ谷3丁目にある鎌倉十井の一つ、扇の井からだと言われているが、もともとこの地は'''亀ヶ谷'''という名前があり、鎌倉幕府の記録書である『[[吾妻鏡]]』には亀谷の地名のみ登場(初見は[[治承]]4年([[1180年]])[[10月7日]])し、扇ヶ谷は出てこない。亀ヶ谷は鶴ヶ岡に対する対語、もしくは谷戸の中心部にある亀ヶ谷坂(『亀がひっくり返るほど急な坂』の『亀返り坂』の転訛という説)からきていると一般に。扇ヶ谷の地名自体言われるが鎌倉末期からの登場で後にういうもは典型的な語源地に住んだ[[管領]][[上杉定正]]失われた勢力を持って『扇谷殿』ころ称されてから生まれた民間語言説であり、櫻井澄夫が言う「バスイド谷の地名学」であるが一般的になり、亀ヶ谷は扇ヶ谷の古名となった
扇ヶ谷自体で谷戸となっているが、扇ヶ谷を取り巻く山々は入り組んだ地形を持ち、地域全体には支谷が多い。泉ヶ谷、清水ヶ谷、清涼寺ヶ谷、藤ヶ谷、多宝寺ヶ谷など多数の谷戸の総称として亀ヶ谷や扇ヶ谷は呼ばれている。現在は横須賀線によって地域は東西に分断されている。この「扇」も「井」ではなく、谷戸あるいは谷戸によって刻まれた地名全体を「扇」に見立てた地名である可能性が高い(櫻井澄夫説)。「扇ヶ谷」が「扇の井のある谷」というのは地名命名の「文法」からして不自然であり、逆に「扇ヶ谷」にあった井戸をそう呼ぶのが自然
「鶴」も多くの場合、地名では、動物の鶴とは関係なく、「水流」(つる)を「鶴」にあてたものである。鶴見、鶴巻など関東地方にも類例は多い。ただし、「かめ」があったので後世に「つる」が生まれたという、「時間差」ペア地名の可能性はある。そういった経緯を経て、「かめ」や「つる」といった地形地名は、「亀」と「鶴」として用語が定着す(櫻井澄夫説)る。
南関東などの地名、特に谷戸名の用語を見ると、例えば横浜市の大口の亀久保谷などの「亀」は動物の亀ではなく、「甕」「瓶」から来ていると考えられ、地形を甕に見立てた典型的な地形地名であると考えるのが自然である(櫻井澄夫説)。日本の歴史学者の多くは地名を考える場合、史料にのみ基づき、地名用語などは考慮に入れず、他に同様の地名があっても検討さえしない。
扇ヶ谷の地名自体は鎌倉末期からの登場で、後にこの地に住んだ[[管領]][[上杉定正]]が勢力を持って『扇谷殿』と称されてから扇ガ谷の地名が一般的になり、亀ヶ谷は扇ヶ谷の古名となった。
扇ヶ谷自体で谷戸となっているが、扇ヶ谷を取り巻く山々は入り組んだ地形を持ち、地域全体には支谷が多い。泉ヶ谷、清水ヶ谷、清涼寺ヶ谷、藤ヶ谷、多宝寺ヶ谷など多数の谷戸の総称として亀ヶ谷や扇ヶ谷は呼ばれている。現在は横須賀線によって地域は東西に分断されている。この「扇」も「井」ではなく、谷戸あるいは谷戸によって刻まれた地名全体を「扇」に見立てた地名である可能性が高い(櫻井澄夫説)。「扇ヶ谷」が「扇の井のある谷」というのは地名命名の「文法」からして不自然であり、逆に「扇ヶ谷」にあった井戸をそう呼ぶのが自然。
 
== 寺社・旧跡 ==