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'''主戸客戸制'''は、[[唐]]後半期における[[両税法]]の成立に伴って創設された戸籍分類法。主客戸制とも。[[地主佃戸制]]を[[社会経済史]]上の実体概念とすれば、主戸客戸制はその制度概念に位置づけられる。[[ (王朝)|宋]]の滅亡とともに消滅した。
 
== 概説 ==
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===戦前期の研究===
 
客戸制研究に先鞭を付けたのが[[加藤繁]]である。加藤は、[[]]代の戸口(世帯と人口)統計に主戸・客戸の別があることに注目し、両者の違いは何か、という問題意識から客戸の意味を探求した。加藤は不動産の有無を基準として主戸・客戸が区別されたと主張し、これは後に税産基準と呼ばれることになった。また、両者が実態概念上何を指すかについては、主戸は自作農、客戸は小作人であったとしている。さらに、史料に見える主客戸の数を統計にまとめ、両浙等の地域では客戸の比率が低くて主戸は高く、夔州(きしゅう)・荊湖・京西等の地域では客戸の比率が高く、主戸は低いという傾向が見られることを指摘した。
 
加藤の指摘したこれらの論点は、以後40年間に及ぶ論争の発端となった。