「市河家文書」の版間の差分

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市河文書に含まれる「弘治3年(1557年)6月23日付武田晴信書状」(書簡)は、弘治3年(1557)の第三次[[川中島合戦]]で、[[武田信玄|武田晴信]](信玄)が市河藤若に宛てた[[感状]]で、最後に「猶可有山本菅助口上候」(詳しくは山本管助が口上で申しあげる」と記されており、与力豪族への使者となるに相応しい地位にあったことが確認された。(どの程度の地位/身分を想定するかで諸説ある)。
 
この文書の評価を巡っては、上野晴朗ら勘助の実在性を示す文書として積極的評価する立場がある一方で、武田家中に「山本管助」と称する関心家臣が存在することを示すのみの文書であるとし、『軍艦』に記される人物像に関しては不確実とする慎重な立場もある。
 
弘治3年文書は、『[[戦国遺文]]』『[[山梨県史]]』に収録されている。