「足利国朝」の版間の差分

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この結婚によって、足利国朝は[[豊臣秀吉]]から[[下野国]]喜連川の地に400貫の所領を与えられたが、[[足利氏姫]]達は自領の館で暮らし、のちの[[喜連川藩]]立藩の際にも喜連川には足を踏み入れなかったという。
 
1593年[[文禄の役]]のとき、[[肥前国]][[名護屋城|名護屋]]に赴く途上の[[安芸国]]で病のために死去した。法号は就山成公法常院
 
[[足利氏姫]]は、その後、国朝の弟である[[喜連川頼氏]]と再婚して一子[[喜連川義親]]を産んだ。