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==霊公の擁立==
同年、襄公が没する。太子の夷皋がまだ幼かったので群臣は襄公の弟を晋公に立てるべきだと話し合った。趙盾の意見により、[[秦]]に仕えていた公子雍を呼び戻して晋公とすることになった。所が狐射姑は[[陳 (春秋)|陳]]にいた公子楽を呼び寄せて晋公にしようとしていたので趙盾はこれに刺客を放って公子楽を殺し、狐射姑は亡命した。しかしこのことで反対派の動向を恐れるようになった趙盾は考えを変えて夷皋を晋公に立てることにし、秦軍の護衛を受けてやってきた公子雍を軍を出して追い払った。この時に公子雍を迎えにいっていた先蔑と[[士会]]は秦へ亡命した。秦は当然晋に対して不快感を持ち、攻撃してきたがこれは撃退した。しかし趙盾は士会が秦にいることを憂えて策を使ってこれを呼び戻した。
 
翌年、夷皋は即位して[[霊公 (晋)|霊公]]となる。当初は趙盾の言うことをおとなしく聞いていた霊公だが、長ずるに従い趙盾に逆らうようになり、趙盾が諌めても聞こうとしなかった。趙盾と霊公の対立は日に日に深まり、[[紀元前607年]]に霊公は趙盾を殺すために鉏麑と言う刺客を送った。