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'''細川 真之'''(ほそかわ さねゆき、[[天文 (元号)|天文]]7年([[1538年]]) - [[天正]]10年([[1582年]])))10月8日)は[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武将]]。[[阿波国|阿波]]守護[[細川持隆]]の嫡男。母は[[小少将]]。六郎。掃部頭。子に[[畠山之照]]など。[[三好長治]]と[[十河存保]]は異父弟に当たる。
== 生涯 ==
父の細川持隆が[[三好義賢]]によって殺害されると、その傀儡として擁立された。この時に母は義賢の妻となっている。義賢の死後もその子・[[三好長治]](異父弟にあたる)に傀儡として利用されたため、真之は大いに不満を持ち、同じく長治に対して不満を持つ[[一宮成助]](小笠原成助)らと手を結び、土佐の[[長宗我部氏]]に救援を求めて長治を討った。しかし、三好氏の一門で[[讃岐国|讃岐]]の[[十河氏]]を継いでいた[[十河存保]]は非常に怒り、その軍勢に[[茅ヶ岡城]]を攻められて自害を余儀なくされた。父は違うとはいえ、兄弟での壮絶な争いである。阿波の混乱を見た[[長宗我部元親]]は、存保の後ろ盾となっていた[[織田信長]]が[[本能寺の変]]で斃れたこともあり、阿波征服を決意する。これが[[中富川の戦い]]である。
 
== 母・小少将 ==