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Chinamie (会話 | 投稿記録)
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[[1975年]]から[[種牡馬]]生活に入った。だが、タケホープはこれといって活躍馬を出せずに終わる(代表産駒は[[アルゼンチン共和国杯]]2着のミナガワローレル)。同時に種牡馬入りしたハイセイコーが[[カツラノハイセイコ]]などの活躍馬を輩出したことを考えれば、タケホープは種牡馬としては大差負け、ということになるのだろうか。血統的にも昔ながらの重厚なステイヤーの血が濃く、他の似たような血統を持つ他の種牡馬と同様、活躍馬を残せなかった。
 
[[1994年]]にタケホープはこの世を去った。墓は生まれ故郷である[[北海道]]・[[浦河町]]の[[谷川牧場]]に建てられている。この牧場は[[シンザン]]が種牡馬生活を送った牧場でもある。そしてタケホープの[[死]]から6年後の[[2000年]]、生涯を通して[[ライバル]]だった[[ハイセイコー]]も遂に世を去り、10年後の2004年にはJRAゴールデンジュビリーキャンペーンの「名馬メモリアル競走」としてタケホープメモリアルが中山競馬場で施行された。
 
==エピソード==